四方拝とは|元日の暦に位置づけられた年始の祈り

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 元日の早朝、まだ新しい年の活動が始まる前に、宮中では「四方拝」が行われます。

 四方拝とは、天皇が伊勢の神宮、歴代天皇の山陵、そして四方の神々を遠くから拝する年始の行事です。宮内庁はこれを、宮中における「年中最初の行事」と説明しています。

 その歴史をたどると、平安時代の宮廷儀礼、中国から伝わった方位や天に対する考え方、陰陽道、日本古来の神祇祭祀が重なり合った姿が見えてきます。

 四方拝は、単に東西南北を拝する行事ではありません。一年の最初に、天皇が自ら祈りをささげ、新しい年の平安を願う行事として暦の中に位置づけられてきました。


四方拝とは

 四方拝は、毎年1月1日の早朝に行われる宮中行事です。

現在は、天皇が宮中の神嘉殿南庭において、次の対象を遙拝されます。

  • 伊勢の神宮
  • 歴代天皇の山陵
  • 四方の神々

「遙拝」とは、対象となる神社や陵墓の場所へ直接赴くのではなく、その方角に向かって遠くから拝することです。

宮内庁の「主要祭儀一覧」では、四方拝を次のように説明しています。

早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮、山陵および四方の神々をご遙拝になる年中最初の行事

 同じ元日の早朝には、宮中三殿で歳旦祭も行われます。しかし、宮内庁の一覧では、四方拝と歳旦祭はそれぞれ別の行事として記載されています。

つまり四方拝は、宮中三殿で行われる祭典そのものではなく、天皇が神嘉殿南庭から各地を遙拝する、年頭の特別な行事と捉えることができます。


「四方」が意味するもの

 四方とは、基本的には東・西・南・北の四つの方角を指します。

ただし、古代における「四方」は、単なる地理的な方向だけを意味する言葉ではありませんでした。四方は、中心から見た周囲の世界、諸国、さらには天下全体を表す言葉としても使われてきました。

そのため、四方を拝するという行為には、東西南北に向かって礼をする以上の意味があります。

宮廷という中心から各方角を拝することによって、

  • 天地の秩序
  • 国土の平安
  • 各地の神々
  • 山陵と皇室の祖先
  • 新しい年の安寧

を一つの祈りの中に結びつける行為であったと考えられます。

 現代の四方拝でも、伊勢の神宮と山陵だけでなく、「四方の神々」が遙拝の対象として明記されています。


平安時代に確認できる四方拝

 四方拝がいつ始まったのかについては、古代から同じ形式で続いてきたと断定できるわけではありません。

 記録上、早い例として知られているのが、宇多天皇の時代です。『宇多天皇御記』には、寛平2年(890)の元日に四方拝が行われたことが記されており、平安時代前期には宮廷の年頭行事として成立していたことが分かります。

 平安時代の四方拝は、元日の寅の刻、現在の時刻に直せば夜明け前から早朝に当たる時間帯に行われました。

 天皇は清涼殿の東庭に出て、天地や四方、山陵などを拝したと伝えられています。国立歴史民俗博物館も、清涼殿を天皇の日常の御座所であるとともに、四方拝などの儀式が行われた場所として紹介しています。

 現在の場所は神嘉殿南庭ですが、古くは京都御所の清涼殿周辺で行われていました。

 場所や儀式の細部は時代によって変化しても、元日の早朝に天皇が諸方を拝するという中心的な形は受け継がれてきたのです。


中国の方位観と四方拝

 四方を意識して天地や神々を拝する考え方は、日本だけに見られるものではありません。

 古代中国では、皇帝が天や地、方角、山川などを祭ることが、天下の秩序を保つ政治的・宗教的な行為とされました。都城や宮殿も方位を重視して造られ、皇帝を世界の中心に置き、その周囲に四方が広がるという宇宙観が形成されていました。

 こうした中国の礼制や方位観は、律令制度、暦、天文、陰陽五行の知識などとともに日本へ伝えられました。

ただし、日本の四方拝をそのまま中国の一つの儀礼から移したものと見るのは慎重であるべきでしょう。

 日本では、中国由来の方位観や宮廷儀礼の要素が、

  • 伊勢の神宮への崇敬
  • 歴代天皇の山陵
  • 日本の神々への祭祀
  • 宮廷陰陽道
  • 年頭の祈り

と結びつき、日本の宮廷に固有の行事として整えられたと考える方が自然です。

 つまり四方拝は、中国から伝来した思想を基礎の一部としながら、日本の神祇祭祀と皇室祭祀の中で独自に形づくられた行事と位置づけられます。


陰陽道と北辰・方角への意識

 平安時代の宮廷では、日時や方角の吉凶を判断する陰陽道が大きな役割を担っていました。

 陰陽道は、中国から伝わった陰陽五行説や天文・暦の知識をもとに、日本の宮廷社会の中で独自に発達したものです。年の始まりにどの方向を拝するか、どの時刻に行事を行うかということも、当時の方位観や時間観と無関係ではありませんでした。

 四方拝の古い儀式には、天地四方に加えて、星や方角に関わる信仰の影響が指摘されています。

とりわけ、北極星や北斗七星を天の中心とみる北辰信仰は、古代中国の天文学や皇帝思想と結びついていました。北の空でほとんど動かない北極星は、天を統べる中心の象徴と考えられたためです。

 しかし、四方拝全体を陰陽道の儀式だけで説明することはできません。

 現在の四方拝で遙拝される対象は、伊勢の神宮、山陵、四方の神々です。そこには、中国由来の方位思想だけでなく、日本の皇室祭祀や祖先祭祀が明確に組み込まれています。

 四方拝は、中国的な宇宙観、宮廷陰陽道、日本の神祇祭祀が重なり合ったところに成立した行事といえるでしょう。


中世にも受け継がれた四方拝

 四方拝は、平安時代だけで終わった儀式ではありません。

 国立歴史民俗博物館には、室町時代後期に書写された「四方拝笏紙」が所蔵されています。「笏紙」とは、儀式の進行や作法などを記し、笏に添えて用いた細長い紙です。この史料の存在からも、中世の宮廷で四方拝の次第が継承されていたことが分かります。

 また、文明12年(1480)には、公家の一条兼良が、翌年の四方拝を停止すべきかどうかという天皇からの問いに答えた書状も残っています。これは、社会が不安定で宮廷の儀礼を続けることが難しい時代にも、四方拝の実施が重要な問題として検討されていたことを示す史料です。

 江戸時代前期の四方拝に関する文書も、同館の高松宮家伝来禁裏本に残されています。

 このような史料から、四方拝が宮廷の年中行事として、作法を記録しながら長く受け継がれてきたことが確認できます。


明治以降の宮中祭祀と四方拝

 明治時代になると、宮中祭祀は新しい国家制度の中で整理されました。

 古代・中世以来の行事をそのまま復元したのではなく、従来の宮廷儀礼を継承しながら、祭祀の場所や制度、年間の構成が改めて整えられています。

 四方拝も、近代の宮中祭祀の年頭行事として位置づけられました。

 その後、制度上の扱いは変化しましたが、行事そのものは現在まで続いています。宮内庁が公開する平成期の記録にも、1月1日に神嘉殿南庭で「四方拝の儀」が行われ、その後に宮中三殿で歳旦祭が行われたことが記録されています。

 古い清涼殿東庭での四方拝と、現在の神嘉殿南庭での四方拝は、場所も制度もまったく同じではありません。

それでも、

元日の早朝に、天皇が自ら諸方を拝する

という行事の核は、時代を越えて受け継がれています。


四方拝と歳旦祭の違い

 四方拝と歳旦祭は、どちらも1月1日の早朝に行われるため、同じ祭祀と思われることがあります。

しかし、宮内庁の主要祭儀一覧では、それぞれ別に記載されています。

四方拝

 神嘉殿南庭で、天皇が伊勢の神宮、山陵、四方の神々を遙拝する年中最初の行事です。

歳旦祭

 宮中三殿で行われる年始の祭典です。

 四方拝は、天皇による遙拝を中心とした行事であり、歳旦祭は宮中三殿における祭典です。

 両者は連続して行われる年頭の祈りですが、場所と形式、宮内庁による分類には違いがあります。

 この違いを押さえておくと、宮中祭祀の一年が、単に一つの祭典から始まるのではなく、四方への遙拝から宮中三殿の歳旦祭へと進む構成になっていることが見えてきます。


四方拝が元日である意味

 四方拝は、二十四節気のように太陽の位置から日付が決まるものではありません。

 その日付は1月1日、すなわち暦の上で新しい年が始まる日です。

 古い時代の正月は、現在の太陽暦の1月1日とは異なり、太陰太陽暦の正月元日に行われていました。明治6年(1873)に太陽暦が採用されてからは、新暦の1月1日が元日となっています。

 ここで重要なのは、特定の季節現象ではなく、暦が年を改める瞬間に行われる行事だということです。

 年が改まるとき、天皇が宮中の中心から伊勢の神宮、山陵、四方の神々を拝する。それによって、新しい一年の時間と国土の広がりが一つの祈りに結ばれます。

 四方拝は、暦の年頭に置かれたことで、一年の始まりを告げる役割を担ってきました。


日本独自の宮中行事として

 四方拝には、中国の方位思想や宮廷礼制、陰陽道の影響が認められます。

 一方で、現在の遙拝対象には伊勢の神宮と歴代天皇の山陵が含まれています。これは、日本の皇室祭祀と祖先祭祀の中で形成された特徴です。

したがって、四方拝を「中国から伝わった行事」または「日本古来の行事」のどちらか一方に分類するのは適切ではありません。

より正確には、

大陸から伝わった方位・天文・宮廷儀礼の考え方を取り入れながら、日本の神々、伊勢の神宮、山陵への祈りを組み合わせて成立した宮中行事

と考えることができます。

 外来の思想をそのまま残すのではなく、日本の暦と宮廷文化の中で組み替え、独自の行事として受け継いできたところに、四方拝の歴史的な特徴があります。


現在に続く「年中最初の行事」

 現代の四方拝について、宮内庁は「年中最初の行事」と明記しています。

 元日は、この後にも歳旦祭などの行事が続きますが、その最初に置かれるのが四方拝です。

 一般の人が儀式を見る機会はありません。しかし、その位置づけを暦の中で見ると、意味は明確です。

 1月1日の早朝、まだ一年の公的な活動が始まる前に、まず祈りが行われる。

 四方拝は、宮中祭祀の一年が、祝賀や儀礼よりも先に、静かな遙拝から始まることを示しています。


まとめ

 四方拝は、元日の早朝に、天皇が伊勢の神宮、歴代天皇の山陵、四方の神々を遙拝する宮中行事です。

 その記録は平安時代前期までさかのぼり、中世・近世の史料からも、宮廷の年中行事として受け継がれてきたことが分かります。

 成立の背景には、中国から伝わった方位観や天文思想、宮廷儀礼、陰陽道の影響がありました。一方で、伊勢の神宮や山陵を拝する姿には、日本の皇室祭祀として独自に発展した特徴があります。

 四方拝は、単に四つの方向を拝する儀式ではありません。

 暦が新しい年へ切り替わるその朝に、宮中から国土の広がりと歴史のつながりを見渡し、一年の平安を祈る行事です。

 日本の暦において、四方拝は一年の最初に置かれた「祈りの起点」といえるでしょう。


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参考資料

  • 宮内庁「主要祭儀一覧」
  • 宮内庁「天皇皇后両陛下の宮中祭祀のお出まし」
  • 国立歴史民俗博物館「四方拝笏紙」
  • 国立歴史民俗博物館「節会四方拝散状写」
  • 国立歴史民俗博物館「一条兼良書状」
  • 国立歴史民俗博物館「洛中洛外図屏風・清涼殿」
  • 『宇多天皇御記』寛平2年正月条

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