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祈りと暦|暦の編纂を命じたのは誰か

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暦の編纂を命じたのは誰か

――天皇と国家が定めた「正しい時間」

③では、暦が
陰陽寮(おんようのつかさ)と暦博士(れきはかせ)という専門家集団によって作られていたことを見てきました。

では、その制度そのものは、
誰の判断によって設けられたのでしょうか。

暦の編纂は、
専門家が勝手に始めた仕事ではありません。
その背後には、明確な命令主体が存在します。


暦の編纂を命じたのは「天皇」である

結論から言えば、
暦の編纂を命じたのは天皇です。

ただし、ここで言う「天皇」とは、
個人的な意思決定者というよりも、
国家秩序の最終責任者としての天皇を指します。

暦は、

  • 祈りの正しさを保証し
  • 政治・行政の日程を定め
  • 国家全体の時間を統一する

ものである以上、
国家の最高権威による承認と命令が不可欠でした。


天武・持統朝に始まる「時間の国家管理」

日本で暦の国家的整備が本格化するのは、
天武天皇・持統天皇の時代です。

この時期、

  • 中国的な律令制度の導入
  • 官制の整備
  • 国家儀礼の体系化

が一気に進みました。

暦の編纂も、
その流れの中で位置づけられます。

天皇は、

国家が用いる「正しい時間」を、
私的な判断から切り離し、
公的制度として管理する

という決断を下したのです。


律令国家における暦の位置づけ

律令制度の下では、
暦は単なる技術資料ではありませんでした。

  • 官人の勤務日
  • 祭祀の実施日
  • 地方行政の基準
  • 年中行事の配置

すべてが暦を基準に動きます。

そのため暦は、
国家法秩序の一部として扱われました。

これは、
天皇が「祈る存在」であると同時に、
時間秩序の最終的な保証者であったことを意味します。


暦の命令権と実務の分離

ここで重要なのは、
命じる者と、作る者が分かれていたという点です。

  • 命じる:天皇(国家)
  • 作る :陰陽寮・暦博士(専門家)

この分離によって、

  • 暦の正確性
  • 権威の一元化
  • 制度の継続性

が保たれました。

暦は、
天皇個人の信念に左右されるものではなく、
国家として継承される装置となったのです。


なぜ天皇が命じる必要があったのか

理由は明確です。

暦は、

  • 祭祀の正否を左右し
  • 国家の秩序を支え
  • 天の意思と地上の統治を結びつける

と考えられていたからです。

もし暦が乱れれば、

  • 祈りは正しさを失い
  • 行政は混乱し
  • 国家の正統性が揺らぐ

そのため、
暦の編纂は
天皇の統治権と不可分の行為でした。


次に見えてくる問い

ここまでで分かったのは、

  • 暦編纂は天皇の命令による国家事業だった
  • それは律令国家成立と同時に制度化された
  • 天皇は「時間の権威」を担っていた

ということです。

では次に、
その「正しい時間」は、
どこから来た思想だったのでしょうか。

日本の暦制度は、
当初から独自のものだったのか。
それとも、
中国の時間秩序の中で位置づけられていたのか。

次は、
**「中国史に見る暦と日本」**の視点で探ります。


参考

  • 律令制と官制(陰陽寮)
  • 天武・持統朝の制度改革
  • 中国王朝における暦の位置づけ
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