暦は誰が作っていたのか
――祈りの時間を支えた人々と制度
天皇の祈りは、史料の中で日付を伴って記録されてきました。
では、その前提となる暦は、
いったい誰が作っていたのでしょうか。
答えは明確です。
天皇が自ら暦を作っていたわけではありません。
暦は、国家の中に設けられた専門機関と専門職によって作られていました。
律令国家に置かれた暦の担当機関
古代日本では、暦の作成と管理は、
律令制度のもとで官制として位置づけられていました。
その中心となったのが、**陰陽寮(おんようのつかさ)**です。
陰陽寮は、
- 暦の作成
- 天文観測
- 日食・月食の予測
- 吉凶・方位の判断
など、時間と宇宙の秩序を扱う官庁でした。
ここで重要なのは、
暦が「宗教的な付属物」ではなく、
国家行政の中核業務として扱われていた点です。
暦を作った専門職――暦博士
陰陽寮の中には、
暦作成を専門に担う職が置かれていました。
それが**暦博士(れきはかせ)**です。
暦博士は、
- 中国由来の暦法を理解し
- 天文計算を行い
- 翌年以降の暦を作成する
という、高度な専門知識を要する役割を担っていました。
暦は、
単なる日付の一覧ではありません。
- どの日に祭祀を行うか
- どの日が節目になるか
- どの時期に何が起こると考えられていたか
こうした判断の基礎になるため、
誤りが許されない国家インフラだったのです。
なぜ専門家に任せられたのか
ここで一つ、はっきりしておきたい点があります。
天皇は、
祈る主体ではあっても、
暦を計算する主体ではありません。
祈りが正しく行われるためには、
- 正しい日付
- 正しい季節認識
- 正しい時間区分
が必要です。
その「正しさ」を支えるために、
国家は暦作成を専門家に委ねる制度を整えました。
これは、
祈りの権威を守るために、
暦の計算を個人の判断から切り離した
とも言えます。
暦は「共有される国家の時間」だった
陰陽寮で作られた暦は、
宮中だけで完結するものではありません。
- 官僚の業務
- 地方行政
- 年中行事
- 祭祀の日程
すべてが、
この暦を基準に動いていました。
つまり暦は、
国家全体が共有する時間の基準だったのです。
天皇の祈りは、
その最上位に置かれた行為でした。
だからこそ、
暦は私的に作られるものではなく、
国家が責任をもって管理する必要がありました。
見えてくる次の問い
ここまでで分かるのは、
- 暦は専門機関(陰陽寮)が作った
- 暦博士という専門職が存在した
- 暦は国家運営の基盤だった
という事実です。
では、
この制度そのものは、誰が作らせたのでしょうか。
- 陰陽寮の設置を決めたのは誰か
- 暦編纂を国家事業にしたのは誰か
- その背景に、どのような国際秩序があったのか
次は、
「暦の編纂を命じたのは誰だったのか」
という問いに進みます。
参考
- 律令制下の官制(陰陽寮・暦博士)
- 『延喜式』暦注・官職規定