目次
- 1 第1章 暦注とは何か
- 1.1 1 暦とは何か、そして暦注とは何か
- 1.2 用語:干支 (かんし、えと)
- 1.3 用語:六十干支(ろくじっかんし)
- 1.4 用語:十二支(じゅうにし)
- 1.5 2 暦注の思想的背景 ― 陰陽五行と干支
- 1.6 日本の暦 暦の中のことば 吉凶を表す言葉・中段(ちゅうだん)
- 1.7 日本の暦 暦の中のことば 吉凶を表す言葉・下段(げだん)
- 1.8 日本の暦 暦の中のことば 吉凶を表す言葉・六曜(ろくよう)
- 1.9 3 暦面の構造と暦注の位置
- 1.10 4 国家暦と民間暦
- 1.11 5 なぜ人は日を選ぶのでしょうか
- 1.12 6 暦注の増殖と整理
- 1.13 7 暦注とは何か ― 再定義
- 1.14 ひとこと:本特集の射程
第1章 暦注とは何か
―― 宇宙の暦に人が加わった… ――
1 暦とは何か、そして暦注とは何か
暦とは、本来、天体の運行を基準に時間を定める体系です。
太陽の黄経によって区切られる二十四節気、月の満ち欠けに基づく朔望、十干十二支による日々の循環、そしてそれらを組み合わせた六十干支の周期。
これらはすべて、人間の意思とは無関係に進みます。
春は来ます。夏は巡ります。干支は止まりません。
この意味で、暦は「動かされる暦」といえます。
宇宙の秩序を写し取ったものだからです。
それに対して「暦注(れきちゅう)」とは何でしょうか。
暦注とは、暦面に付された吉凶・禁忌・方位・神事・行動の可否などを示す注記の総称です。
暦が「いつ」であるかを示すなら、
暦注は「どうするか」を示します。
この差異は、単なる注記の有無ではありません。
それは、暦が宇宙秩序から人間秩序へと拡張したことを意味しています。
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2 暦注の思想的背景 ― 陰陽五行と干支
暦注の根底には、中国古代の宇宙論があります。
陰と陽。
木・火・土・金・水の五行。
干支の相生・相剋関係。
これらは占いのために作られた理論ではありませんでした。
世界を説明する枠組みだったのです。
北斗七星の斗柄の向きは月を定め、
月建(げっけん)は節月を決定し、
干支は時間を循環させます。
この宇宙論的秩序に、「吉」「凶」という評価を与えたものが暦注です。
すなわち暦注とは、
宇宙の循環理論を、人間の行為判断へと転換した思想体系
だといえます。
ここで重要なのは、暦注が天文観測とは別の次元にあるという点です。
暦は観測と計算に基づきますが、暦注は思想と評価に基づいています。
しかし両者は切り離されてはいません。
干支や節気という共通基盤の上に立っているのです。
参考リンク
- 十二直:「暦の中段(ちゅうだん)」は、十二直(じゅうにちょく)とも呼ばれ、「直」は「当たる」という意味があり、よく当たる暦注と信じられていたと考えられる(日本の暦)。
- 天赦日:天恩日(てんおんにち)は、慶事に用いて吉、凶事には忌む日
- 六曜:現在は、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口となっている。

十二直→暦の中段、天恩日→下段に書かれた吉凶、六曜
3 暦面の構造と暦注の位置
伝統的な暦面には、日付だけでなく、さまざまな情報が書き込まれていました。
上段には日付や干支。
中段には十二直。
下段には天赦日や凶会日(くえにち)。
さらに余白には八専や三隣亡(さんりんぼう)などの選日。
これらは偶然に付け足されたものではありません。
暦面そのものが、
天文秩序+評価体系
という二重構造を持っていました。
つまり暦注は「付録」ではなく、
暦というメディアの一部だったのです。
4 国家暦と民間暦
日本では、律令国家の成立以降、暦は国家が編纂し頒布しました。
暦は農耕や祭祀を統一する制度であり、国家統治の基盤でした。
しかし暦注は必ずしも国家主導ではありませんでした。
十二直や選日、凶日忌日は、
民間の生活実践の中で重視されました。
国家暦は「時間の統一」を担い、
暦注は「行動の統一」を担いました。
この二層構造こそが、日本の暦文化の特徴です。
明治改暦によって太陰太陽暦は廃され、太陽暦が採用されました。
それにもかかわらず、六曜は残りました。
これは暦注が制度ではなく生活文化であった証拠といえます。
【コラム】暦注はなぜ日本で生活文化になったのか
―― 中国との違い ――
暦注の思想的基盤は中国にありますが、日本における展開は同一ではありません。
暦注そのものは、中国の陰陽五行思想や干支思想とともに、7世紀ごろ、律令国家の形成期に日本へ伝わったと考えられています。
遣隋使・遣唐使によってもたらされた暦法とともに、吉凶判断の体系も輸入されました。
当初それは、朝廷の公式暦の中に組み込まれ、国家運営や祭祀、儀礼の日取りを定めるためのものでした。
中国では、暦注は皇帝を頂点とする国家秩序の中で整備されました。
陰陽五行思想は政治理論とも結びつき、吉凶判断は統治秩序の一部でもありました。
暦は「天命」を示す装置でもあったのです。
一方、日本では、律令制のもとで暦は国家制度として整えられましたが、暦注は次第に民間生活の中へと深く入り込みます。
とくに中世以降、暦は寺社や陰陽師、暦師を通じて民間に広まり、
婚礼、建築、移転、商いなど、日常の判断基準として定着しました。
中国では暦注は「天命」や「王朝の正統性」とも結びつく思想でしたが、
日本ではそれがより生活実践に近い形へと変容します。
国家秩序を支える思想から、
人々の不安や願いに応える生活文化へ。
この変容こそが、日本における暦注の特徴といえるでしょう。
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つまり、日本では
宇宙秩序の理論
↓
生活の指針
という重心移動がより強く起こったといえます。
明治改暦後も六曜が残存した事実は、この日本的特質をよく示しています。
国家制度が変わっても、
生活文化としての「日を選ぶ思想」は残ったのです。
ここに、中国思想の受容と日本的再編の痕跡を見ることができます。
5 なぜ人は日を選ぶのでしょうか
人は決断の場面で不安を抱きます。
結婚はうまくいくでしょうか。
家は安全でしょうか。
旅は無事でしょうか。
暦注は、その不安を宇宙の秩序の中に位置づけました。
「この日は吉である」
という記述は、運命を固定するものではありません。
それは、自らの行為を大きな循環の中に接続する行為でした。
暦注は、不安を秩序へと翻訳する装置だったのです。
ここに、暦注の社会的機能があります。
6 暦注の増殖と整理
歴史の中で、暦注は増殖しました。
中段の十二直。
下段の天赦日や凶会日。
生年による凶日。
犯土(つち)、三伏(さんぷく)、八専(はっせん)。
やがてそれらは複雑化し、理解には専門知識が必要になりました。
近代以降、その多くは衰退します。
そして残ったのが六曜です。
六曜は六日周期という単純な配当法を持ち、
干支計算を必要としません。
複雑な理論よりも、
直感的に理解できる吉凶が選ばれました。
これは思想の衰退ではありません。
宇宙理論から感情的実用への重心移動
だったと考えることができます。

7 暦注とは何か ― 再定義
ここまでを整理すると、暦注とは何でしょうか。
それは、
暦に付された注記でありながら、
宇宙秩序と人間行動を接続する思想装置
です。
暦が天体の運行を写すものであるなら、
暦注は人間の営みを方向づけるものです。
動かされる暦から、動かす暦へ。
暦注は、その転換点に立っています。
ひとこと:本特集の射程
本特集では、次章以降、
・選日とは何か
・中段(十二直)の構造
・下段の吉凶体系
・その他の選日思想
・六曜の成立と残存理由
を順に整理していきます。
暦注は添え物ではありません。
それは、宇宙を理解しようとした人間が、
自らの行為を位置づけようとした痕跡です。
暦の余白に書かれた文字は、
人間の思索の跡そのものなのです。