春の土用(はるのどよう)という言葉は、
夏の土用(うなぎ)ほど有名ではありません。
けれど実は――
春の土用こそ、「季節が切り替わる瞬間」をいちばんはっきり感じられる時期かもしれません。
土用とは、雑節のひとつ。
四季それぞれに存在し、立夏・立秋・立冬・立春の前に置かれる約18日間の期間です。
このうち、春の土用は
立夏(りっか)の前、約18日間
を指します。
つまりそれは、
暦の上で春が終わり、夏へ入る直前の“助走期間”です。
目次
春が終わる前に置かれた「静かな節目」
春の土用の特徴は、「春の盛り」ではなく、
春の終盤にあることです。
桜が散り、花粉の季節が過ぎ、
芽吹きの勢いもいったん落ち着くころ。
それでも季節は止まりません。
新緑の色が濃くなり、
日差しが急に強くなり、
夕方の空気にどこか湿り気が混じる。
春の土用は、そうした
春が“薄れていく”感じ
夏が“近づいてくる”気配
が、日常の中にじわじわと現れてくる時期です。
立夏の前に「土用」がある意味
では、なぜ立夏の直前に「土用」という期間があるのでしょう。
土用はしばしば
季節の変わり目に置かれた調整期間
だと説明されます。
たしかに春から夏へ切り替わる境目は、身体にも暮らしにも負担が出やすい。
- 朝晩はまだ冷えるのに、昼は汗ばむ
- 暑さに慣れておらず、体力が消耗する
- 知らないうちに水分が不足する
- 気圧や天候が安定せず、自律神経が揺れる
つまり春の土用は、単なる日付の区切りではなく、
「変化に備えるための時間」が暦の中で制度化されたものだといえます。
暦は、未来の気候を正確に予報するものではありません。
けれど昔の人は、自然の流れの中に
ここで一度、整えたほうがいい
という地点を見つけ、
土用という“余白”を置いたのだと思います。
春の土用の空気――「春の終わり」がいちばんわかる頃
春の土用の時期は、体感としては微妙です。
春なのか、もう初夏なのか。
あいまいで、判断しづらい。
けれど、そのあいまいさこそが、土用の正体でしょう。
たとえば外を歩いていると、
- 風はまだ春の軽さなのに
- 日差しだけ夏のように鋭い
- 木々の緑が、ある日突然“濃い緑”に変わる
そんな瞬間があります。
季節は、いきなり夏になるのではなく、
何日もかけて「春を脱いでいく」。
春の土用とは、
その“脱ぎかけの季節”が見える期間なのかもしれません。
「土用=暑さ」ではない――四季それぞれの土用
土用というと「夏の土用」を思い浮かべがちです。
しかし本来、土用は一年に四回あります。
- 春の土用(立夏前)
- 夏の土用(立秋前)
- 秋の土用(立冬前)
- 冬の土用(立春前)
なぜ夏の土用だけが有名なのかと言えば、
それは民間習俗や食文化(うなぎ)によって、強く印象づけられたからでしょう。
けれど“暦の仕組み”として見れば、土用は四季の共通装置です。
季節が切り替わる手前に、
人と暮らしを一度落ち着かせる時間が置かれている。
この仕組みは、春の土用にもきちんと当てはまります。
むしろ春の土用のほうが、
「春から夏へ」――生命の密度が上がる方向への切り替えだけに、
空気の変化が大きく感じられるかもしれません。
春の土用は「次の季節を迎える準備期間」
春の土用は、派手な行事があるわけでもなく、
一目でわかるイベントも少ない雑節です。
けれど、立夏の直前にあるという一点だけで、
じつはとても意味深い期間でもあります。
春の終わりに、
一度、足元を整える。
夏に向かう前に、
暮らしと身体を整える。
暦は、季節を知らせる掲示板ではありません。
季節とともに生きるための“手すり”でした。
春の土用という言葉は、
その手すりが確かにここにも置かれていることを教えてくれます。
ひとこと
春の土用が「春の終わり」を意識させる期間だとしたら、
ここには当然、暮らしの知恵も集まっているはずです。
春の土用をめぐる
- 食べ物(よもぎ・土用餅など)
- 農の暦(田畑・土を整える発想)
- 空の変化(黄砂・春嵐・雷の気配)
といった“春ならでは”の深堀りも整理してみます。


春の土用の深堀記事はほかにもあります。



