十二支とは何か ―― 巡る時間の思想 ――

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第4章 十二支とは何か

―― 巡る時間の思想 ――


1 十二支は何のために生まれたのか

十二支とは、

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

の十二の符号です。

今日では干支の後半部分として知られ、さらに十二の動物と結びつけられていますが、もともとは動物の物語から生まれたものではありません。

十二支は、

時間と空間を整理するための思想装置

として生まれました。

十干が「変化の段階」を示す体系であるのに対し、十二支は「巡り」を示す体系です。

ここに両者の決定的な違いがあります。


2 はじまりは「方位」だった

十二支の起源は、時間よりも空間にあります。

古代中国では、北極星を中心に回転する北斗七星の動きが重視されました。
北斗七星の柄(斗柄)は、季節によって向きを変えます。

その向きを基準に、天空を十二に区切りました。

これが十二支の原型です。

つまり十二支は、

空間を十二分割した体系

として始まりました。

子は北、
卯は東、
午は南、
酉は西。

四正(しせい)と呼ばれる四つの基本方位があり、その間を含めて十二に分割されたのです。

時間ではなく、方位が先でした。


3 なぜ「十二」なのか

では、なぜ十二だったのでしょうか。

ここで月の存在が重要になります。

月は約29.5日で満ち欠けを繰り返します。
一年にはおよそ12回の朔望月があります。

十二という数は、

月の循環と自然に結びつく数

だったのです。

天空の方位区分と、月の運行が重なり、

十二支はやがて時間の単位へと拡張されます。


4 方位から時間へ

十二支は、

方位
→ 月
→ 日
→ 時刻

へと適用範囲を広げました。

一日は十二の刻に分けられました。

子の刻(23時〜1時)
丑の刻(1時〜3時)

亥の刻(21時〜23時)

これは夜を中心にした時間観です。

太陽が昼を支配するなら、
十二支は夜を整理する。

昼夜のリズムと結びついた時間体系だったのです。


5 十二支は「巡る」思想である

十二支は直線ではありません。

子から亥へと並びますが、そこに本質的な始まりや終わりはありません。

子が最初に置かれるのは暦上の整理によるものです。

十二支の核心は、

巡ること

にあります。

春は訪れ、
夏は盛り、
秋は収まり、
冬は閉じ、
また春が来る。

十二支は、

自然の循環を抽象化した符号体系

なのです。

ここで重要なのは、時間を直線的進歩ではなく、

円環的再帰

として捉えている点です。


参考リンク

6 動物は本質ではない

今日、十二支は動物と結びついています。

しかし、これは後世の民間的理解を助ける象徴化です。

本来の十二支は音(符号)でした。

子・丑・寅という音に意味があり、

動物はあとから与えられた説明装置にすぎません。

ここでも、

思想 → 民間文化

という変化が見えます。


7 十二支と十干の違い

ここで十干との対比を整理します。

十干は展開。
十二支は循環。

十干は変化の段階を示す。
十二支は巡る枠組みを示す。

十干は「質」。
十二支は「位置」。

この二つが結びついたとき、時間は

質を持ち、かつ巡る

という二重構造になります。

それが六十干支です。


8 なぜ十二支が残ったのか

十二支は、

方位


時刻

に使われました。

つまり、生活全体を包み込む枠組みでした。

明治改暦で太陰太陽暦が廃止されても、

十二支は消えませんでした。

年賀状、方位、厄年、干支年。

それは単なる迷信ではなく、

巡りの思想が文化として残った証拠です。


9 十二支の思想的意味

十二支とは、

時間を巡りとして理解する枠組みです。

そこには、

終わりは次の始まりである

という世界観があります。

直線的進歩ではなく、
循環的回帰。

この時間観の上に、

六十干支が築かれ、
暦注と選日が組み上がっていきます。

十二支は、

時間を「戻るもの」として捉えた思想の痕跡なのです。


まとめ

十二支とは、

方位から生まれ、
月と結びつき、
時間へ拡張された巡りの思想です。

それは動物の物語ではなく、

空間と時間を同時に整理する宇宙観でした。

十干が時間に質を与えるなら、
十二支は時間を巡らせる。

この二つの融合が、

日本の暦思想の土台となっています。

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