奈良県明日香村にある高松塚古墳。
1972年、石室の内部から極彩色の壁画が発見され、大きな注目を集めました。
女子群像の姿がよく知られていますが、この古墳には、暦や星に関心を持つ人にとって見逃せないものがあります。
天井に描かれた星宿図です。
そこには、東・西・南・北に七宿ずつ、合わせて二十八の星宿が配置されています。
二十八宿――。
これまで見てきた、月の通り道を示す古代中国の星の区分が、古墳の天井にも姿を現します。
前回の富雄丸山古墳では、文字のない遺物や古墳の形から年代を読みました。
今回は少し視点を変えます。
古墳の中に残された「星」から、古代の人々がどのような天空の体系を受け入れていたのかを見てみます。
高松塚古墳とは
高松塚古墳は、奈良県高市郡明日香村にある円墳です。
文化庁では、7世紀末から8世紀初めに築造された古墳としています。
石室はそれほど大きなものではありません。
しかし、その内部には、
人物群像、
青龍・白虎・玄武などの四神、
太陽と月、
そして天井の星宿図、
という多彩な壁画が描かれていました。
1972年3月21日に極彩色の古墳壁画が発見され、翌1973年には古墳が特別史跡、1974年には壁画が国宝に指定されています。
被葬者については諸説があり、現在も特定されていません。
文化庁:文化遺産オンライン 検索:高松塚古墳壁画 ※壁画は、日月星宿図・四神図・人物図からなる
天井に描かれた星宿図
高松塚古墳の天井には、多数の星が描かれています。
星は直径9ミリほどの金箔で表され、それぞれを朱色の線で結んで星宿を形づくっています。
文化庁の資料では、
東・西・南・北に七宿ずつ
配置されていることが確認されています。
つまり、
東方七宿
北方七宿
西方七宿
南方七宿
という構成です。
合計すると二十八宿になります。
中央には「四輔」と呼ばれる星も描かれています。
金箔を貼った星を朱線で結び、石室の天井そのものを一つの天空として表現していたことが分かります。
参考)国立天文台 > 暦計算室 > 貴重資料展示室 > 江戸時代の星図
古墳の中に現れた「二十八宿」
二十八宿は、古代中国で発達した星宿の体系です。
天空を東西南北の四方に分け、それぞれに七つの宿を置きます。
東方には、
角・亢・氐・房・心・尾・箕。
北方には、
斗・牛・女・虚・危・室・壁。
西方には、
奎・婁・胃・昴・畢・觜・参。
南方には、
井・鬼・柳・星・張・翼・軫。
という七宿が配置されます。
高松塚古墳の星宿図でも、このような東西南北七宿ずつの体系が天井に描かれています。
ただし、ここで注意したいことがあります。
現在の西洋星座をそのまま古墳の天井に描いたものではありません。
二十八宿は、中国で形成された独自の星の体系です。
月や星の位置を知り、天空を区分するための基準として長く使われてきました。
高松塚古墳の星宿図は、そのような中国系の天文知識が日本にも伝わっていたことを示す重要な資料の一つです。
東西南北の七宿と四神
ここで星宿図の下に描かれた壁画にも目を向けてみます。
東壁には青龍。
西壁には白虎。
北壁には玄武。
南壁には本来、朱雀が描かれていたと考えられていますが、盗掘などによって失われています。
これまで二十八宿の記事で見てきた、
東方青龍
北方玄武
西方白虎
南方朱雀
という組み合わせが、実際の古墳空間にも現れているのです。
天井には四方七宿。
壁には四神。
星宿と四神が、それぞれ方位に対応して配置されています。
二十八宿の記事で扱ってきた「四方と七宿」の考え方が、単なる一覧表の中だけではなく、古代の墓室空間にも表現されていることが分かります。
太陽と月も描かれている
高松塚古墳には星だけでなく、太陽と月も描かれています。
東壁の青龍の上方には、金箔による日像。
西壁の白虎の上方には、銀箔による月像。
が描かれています。
東に太陽。
西に月。
そして天井には星宿。
壁面には四神。
石室の内部には、天空と方位を意識した構成を見ることができます。
もちろん、これらが被葬者にとって具体的にどのような意味を持っていたのかを、現在の私たちが一つに断定することはできません。
しかし、太陽・月・星宿・四神という中国由来の天文・方位思想が、一つの石室の中に組み込まれていることは確認できます。
星宿図は「暦」なのか
ここで、このシリーズのテーマである「暦」に戻ってみます。
高松塚古墳の星宿図そのものは、日付を書いた暦ではありません。
「○年○月○日」と書かれているわけでもありません。
それでも、暦と無関係ではありません。
古代の暦は、太陽や月、星の動きを観測する天文学と深く結びついていました。
太陽の運行から一年を考え、
月の満ち欠けから月を考え、
星々を天空上の位置の目印として利用する。
二十八宿も、そのような古代東アジアの天文学の中で使われた星宿体系です。
高松塚古墳に残されたのは、
日付そのものではなく、暦を支えていた天空の体系
と見ることができます。
金箔で残された古代の星
文化庁の調査資料では、高松塚古墳の星宿図について、当初の調査で金箔119か所と金箔の痕跡6か所、合わせて125か所が報告されています。
その後の調査では、さらに金箔の付着箇所も確認されています。
小さな金箔一つ一つが星として貼られ、それらを朱線で結ぶことで星宿が表現されていました。
現在のように星空を写真に撮ることのできない時代です。
古代の人々は、受け継いだ天文知識を星の配置として整理し、それを石室の天井に描きました。
そこには単に美しい星空を描くというだけではない、体系化された天空の知識を見ることができます。
鉄剣から星へ――古代の時間の残り方
このシリーズでは、ここまで三つの異なる「時間の痕跡」を見てきました。
稲荷山古墳では、
「辛亥年」という文字。
富雄丸山古墳では、
遺物や古墳の形による編年。
そして高松塚古墳では、
天空を区分した星宿図。
です。
高松塚の星宿図は、「この古墳は○年に造られた」と直接教えてくれるものではありません。
しかし、その時代にどのような天文知識・方位観が日本に伝わり、どのように表現されていたのかを伝えています。
時間の記録は、年号や干支だけではありません。
星の並びにも、古代の人々が理解した時間と宇宙の姿が残されています。
二十八宿が古墳の天井にある意味
二十八宿を調べていると、
角宿、
房宿、
昴宿、
参宿、
といった一つ一つの宿に目が向きます。
しかし高松塚古墳を見ると、その二十八宿が本来、
東西南北の天空全体を構成する体系
であったことが見えてきます。
そして、その下には四神がいる。
東には青龍。
西には白虎。
北には玄武。
南には朱雀が想定される。
さらに太陽と月も置かれています。
これまで個別に見てきた、
二十八宿、
四神、
太陽、
月、
方位、
が、高松塚古墳では一つの空間の中につながってきます。
暦を追ってきた先に、古墳の天井に描かれた星空が現れる。
これもまた、「暦から古代史を読む」面白さの一つだと思います。
次は、同じ明日香村にあるキトラ古墳の天文図へ進みます。
高松塚古墳の星宿図からさらに一歩進み、キトラ古墳では赤道や黄道を示す円を備えた本格的な天文図が残されています。
高松塚とキトラ。
二つの古墳の「空」を比べると、古代に伝わった天文学の姿がさらに具体的に見えてきます。
参考資料・出典
・文化庁「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策について」
・文化庁「国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開」
・文化庁「高松塚古墳壁画保存管理公開活用施設(仮称)基本計画」
・文化庁「星宿図中の金箔について」
・文化庁「高松塚古墳の現場 」
・国営飛鳥歴史公園「高松塚周辺地区」
高松塚古墳は7世紀末~8世紀初めの築造で、天井の星宿図は東西南北に七宿ずつ配置し、中央に四輔を描き、星を金箔、星同士を朱線で表現しています。
また、文化庁の施設検討資料でも、天井石について「星宿図南半(天極、東方・南方・西方七宿)」「星宿図北半(北方七宿)」と整理されています。
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シリーズ記事一覧
シリーズ:暦から読む古代史
- 稲荷山古墳の辛亥年銘鉄剣
- 富雄丸山古墳の巨大蛇行剣
- 高松塚古墳の星宿図
- キトラ古墳の天文図
- キトラ古墳の十二支像
- 古墳に残る四神