奈良市にある富雄丸山古墳から、巨大な蛇行剣が見つかりました。
鉄剣そのものの長さは約237センチメートル。
さらに、把や鞘などの装具を含めると、全体では約285センチメートルに達する大きさです。
古代東アジアでも最大級とされる、非常に長大な鉄剣です。
前回取り上げた稲荷山古墳の金錯銘鉄剣には、
「辛亥年」
という干支による年の記録が残されていました。
しかし、富雄丸山古墳の蛇行剣には、今のところそのような年紀を示す銘文は確認されていません。
それでも富雄丸山古墳は、
4世紀後半
に築造された古墳と考えられています。
では、文字で年が残されていない古墳を、考古学はどのように年代づけるのでしょうか。
今回は、巨大な蛇行剣そのものとともに、「文字のない時間」を読む方法を見てみます。
富雄丸山古墳とは

富雄丸山古墳は、奈良市丸山にある大型の円墳です。
現在確認されている墳丘の直径は109メートル。
国内最大の円墳として知られています。
北東側には、「造出し」と呼ばれる張り出し部分があります。
奈良市による発掘調査では、墳丘の構造や埴輪列、副葬品、埋葬施設などが調べられてきました。
そして2022年度に行われた第6次調査で、その造出し部分から未盗掘の粘土槨が確認されました。
そこから出土したのが、
巨大な蛇行剣
と、
鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)
です。
どちらも、これまでの古墳研究ではほとんど類例のない資料でした。
長さ237センチメートルの蛇行剣

富雄丸山古墳から出⼟した国内最古で最大の蛇行剣を初公開
(令和5年6月27日発表)
奈良市ホームページより
蛇行剣とは、刀身が蛇のように屈曲した形を持つ鉄剣です。
富雄丸山古墳から出土した蛇行剣は、鉄剣部分だけで長さ約237センチメートルあります。
発見当初は、複数の蛇行剣が重なっている可能性も考えられました。
しかし、X線などによる調査によって、一振りの鉄剣 であることが確認されました。
さらに保存処理と調査が進むにつれて、把や鞘などの装具の構造も少しずつ明らかになっています。
把頭には楔形の構造があり、鞘の先端にも特殊な付属部分があったことが確認されています。
装具を含めると、全長は約285センチメートルに達するとされています。
巨大であるだけでなく、造りそのものにもこれまでにない特徴を持った剣なのです。
蛇行剣には「○○年」と書かれていない
稲荷山古墳の鉄剣では、
「辛亥年」
という文字が年代を考える直接的な手がかりになりました。
しかし、富雄丸山古墳の蛇行剣では、そのような年を示す文字は確認されていません。
つまり、
剣そのものから「西暦何年」と読むことはできません。
それでも、富雄丸山古墳は4世紀後半に築造されたと考えられています。
そこでは、文字とは別の方法で時間を読みます。
文字がなくても年代を読む「編年」
考古学では、出土品や遺構の形、作り方、組み合わせなどを比較しながら、古いものから新しいものへ並べていく方法があります。
これを、編年 といいます。
例えば土器を見ると、口の形や胴体の形、文様、製作技法などが時代とともに少しずつ変化していきます。
埴輪にも同じような変化があります。
古墳そのものも、
前方後円墳なのか、
円墳なのか、
どのような造出しを持つのか、
どのように埋葬施設を造っているのか、
といった特徴が時代によって変化します。
さらに、
鏡、武器、鉄製品、埴輪、などの副葬品を、年代の分かる他の古墳と比較します。
こうした複数の資料を組み合わせることで、
「この古墳は、この時期に築かれた可能性が高い」
と年代を絞っていきます。
富雄丸山古墳はなぜ4世紀後半なのか
奈良市は、富雄丸山古墳を4世紀後半に築造された古墳としています。
この年代は、巨大な蛇行剣だけから判断されたものではありません。
墳丘の形、造出し、埴輪、埋葬施設、副葬品など、古墳全体の考古学的な特徴から位置づけられています。
特に重要なのは、
一つの遺物だけで年代を決めるのではない
ということです。
蛇行剣が珍しいから4世紀後半なのではなく、古墳全体の構造と出土資料を、他の古墳と比較しながら年代を考えます。
ここが、前回の稲荷山古墳とは大きく違うところです。
稲荷山古墳では、
文字が時間を示しました。
富雄丸山古墳では、
モノの形や組み合わせが時間を示します。
同じ古墳でも年代の手がかりは一つではない
富雄丸山古墳からは、蛇行剣だけが見つかったわけではありません。
同じ埋葬施設からは、鼉龍文盾形銅鏡も出土しています。
さらに、その後の調査では木棺の内部から鏡や櫛も確認されました。
古墳の年代や被葬者の性格を考えるときには、こうした資料を一つずつ見ていきます。
剣、鏡、木棺、埴輪、墳丘、 それぞれが、異なる情報を持っています。
それらを重ね合わせることで、文字では残されなかった古代の時間を読み解いていきます。
蛇行剣そのものにも残る時間の痕跡
蛇行剣にも、時間を考える手がかりはあります。
富雄丸山古墳の蛇行剣は、保存処理が進むことで、把や鞘などの装具の構造が明らかになってきました。
こうした構造や装飾を、他地域・他時期の刀剣と比較することによって、
いつ作られたのか、
どのような技術で作られたのか、
どのような系譜を持つのか、
を考えることができます。
これは、文字に書かれた年とは違います。
しかし、モノそのものに残った製作技術や形の変化もまた、一つの「時間の記録」です。
「辛亥年」と「巨大蛇行剣」の違い
ここで、前回の稲荷山古墳と比較してみます。
稲荷山古墳の金錯銘鉄剣には、
辛亥年
という明確な紀年がありました。
ただし、辛亥は60年ごとに巡るため、471年なのか531年なのか、他の史料との照合が必要でした。
一方、富雄丸山古墳の蛇行剣には、年を示す文字がありません。
そのため、
古墳の構造、埴輪、副葬品、埋葬施設、他の遺跡との比較、
によって年代を考えます。
つまり古代の時間を読む方法には、
文字から読む方法 と、モノから読む方法 があります。
どちらか一方だけではなく、両方を組み合わせることで、古代の年代像は少しずつ具体的になっていきます。
巨大な剣から「文字のない時間」を読む
富雄丸山古墳の巨大蛇行剣には、「辛亥年」 のような年代を直接示す文字はありません。
それでも、考古学は古墳や遺物の形、構造、組み合わせを比較し、時間の流れを組み立てていきます。
そこには、
文字として残された時間 とは別の、 モノに残された時間 があります。
暦や年代というと、どうしても年号や干支の文字を思い浮かべます。
しかし古代の時間は、必ずしも文字だけに残されているわけではありません。
一振りの巨大な剣の形にも、
古墳の形にも、
埴輪にも、
鏡にも、
時代を知る手がかりが残されています。
「古代の時間を読む」とは、そうした異なる痕跡を一つずつ重ねていくことなのかもしれません。
次は、高松塚古墳へ進みます。
そこでは、時間の手がかりが鉄剣や埴輪ではなく、
天井に描かれた「星」 として残されています。
二十八宿と古代の星空は、古墳の中でどのように表現されたのでしょうか。
参考資料・出典
- 富雄丸山古墳から蛇⾏剣・鼉⿓⽂盾形銅鏡が出⼟ (令和5年1月25日発表) – 奈良市ホームページ
- 富雄丸山古墳から出⼟した国内最古で最大の蛇行剣を初公開 (令和5年6月27日発表) – 奈良市ホームページ
- 富雄丸山古墳出土蛇行剣の共同調査研究成果と特別公開 – 奈良市ホームページ
- 富雄丸山古墳発掘調査(第7次調査)について(令和6年3月13日発表) – 奈良市ホームページ
- 【最新動画公開中】富雄丸山古墳まとめ情報 – 奈良市ホームページ
奈良市の公式発表では、富雄丸山古墳は直径109mの国内最大の円墳で、蛇行剣と鼉龍文盾形銅鏡はいずれも造出しの埋葬施設から確認されています。
また、保存科学的な処置によって、把・鞘など装具の構造も判明してきています。
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シリーズ記事一覧

シリーズ:暦から読む古代史
- 稲荷山古墳の辛亥年銘鉄剣
- 富雄丸山古墳の巨大蛇行剣
- 高松塚古墳の星宿図
- キトラ古墳の天文図
- キトラ古墳の十二支像
- 古墳に残る四神