
埼玉県行田市にある稲荷山古墳から、一振りの鉄剣が出土しました。
現在「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」と呼ばれるこの鉄剣には、表面57文字、裏面58文字、合わせて115文字の銘文が金象嵌で刻まれています。
その銘文の冒頭に記されているのが、
「辛亥年」
という年を示す言葉です。
辛亥(しんがい・かのとい)は、六十干支の一つです。
では、この「辛亥年」は、いったい西暦何年なのでしょうか。
古代の実物資料に残された干支から、年代を読み解いてみます。
金錯銘鉄剣に刻まれた銘文
(表)
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(裏)
其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也
銘文には、年を示す「辛亥年」のほか、後半に「獲加多支鹵大王」と記されています。
この「獲加多支鹵大王」が、鉄剣の年代を考える重要な手がかりになります。
稲荷山古墳と金錯銘鉄剣
稲荷山古墳は、埼玉古墳群の中でも古い大型前方後円墳で、5世紀後半に築かれたと考えられています。
1968年の発掘調査で後円部の埋葬施設から鉄剣が出土しました。
しかし、発見当初から115文字が見えていたわけではありません。
出土から10年後の1978年、保存処理の際にX線撮影を行ったことで、錆の下に金象嵌の文字があることが分かりました。
その銘文は現在、古墳時代の同時代史料としてきわめて重要なものとされています。
鉄剣を含む「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」は、1983年に国宝に指定されています。
鉄剣に刻まれた「辛亥年」
銘文には、「辛亥年」にこの剣を作らせたことが記されています。
辛亥は六十干支の48番目にあたります。
六十干支は、
甲子
乙丑
丙寅……
と続き、60種類で一巡します。
そのため、「辛亥年」と書かれているだけでは、西暦年を一つに決めることはできません。
辛亥の年は60年ごとに巡ってくるからです。
古墳時代周辺だけを見ても、411年、471年、531年という複数の候補が現れます。
では、なぜ稲荷山古墳の辛亥年は、現在おおむね471年と考えられているのでしょうか。
「ワカタケル大王」が年代を考える手がかりに
その重要な手がかりが、銘文中に登場する
「ワカタケル大王」
です。
銘文には、ヲワケという人物とその祖先が代々大王に仕えてきたこと、そしてヲワケがワカタケル大王に仕えた功績を記すために剣を作らせたことが記されています。
この「ワカタケル大王」は、一般に『古事記』『日本書紀』に登場する雄略天皇にあたる人物と考えられています。
さらに中国の『宋書』倭国伝に登場する「倭王武」との関係も考えられてきました。
こうした他の史料との照合によって、辛亥年を471年とする説が有力になりました。
辛亥年は471年か531年か
しかし、銘文が発見された当初から471年で決着していたわけではありません。
辛亥は60年ごとに巡るため、
471年説
と、
531年説
などが検討されました。
現在は471年説がほぼ通説となっています。
埼玉県立さきたま史跡の博物館の研究でも、ワカタケル大王と雄略天皇、中国史書に見える倭王武との対応、『日本書紀』などの年代、考古資料との整合性を踏まえて471年説が整理されています。
ここが、六十干支で年代を読む面白いところです。
干支だけでは年代は決まりません。
「辛亥」という60年周期の記号に、
人物、
中国年号、
他の文献、
出土品の年代、
といった別の手がかりを重ねて、候補を絞っていきます。
干支と考古学から古代の年代を読む
考古学では、土器や武器などの形の変化を比べて、どちらが古いか、新しいかを考えることができます。
これを編年といいます。
しかし、それだけでは「西暦何年」と一点に結びつけることは簡単ではありません。
その中で、「辛亥年」のような年紀を持つ資料は重要です。
文化庁も、稲荷山古墳の金錯銘鉄剣について、古墳群の造営年代を考えるうえで絶対年代を与える重要な資料として評価しています。
古墳から出た一振りの鉄剣に刻まれた二文字の干支が、5世紀の歴史を具体的な年代へつなぐ手がかりになったのです。
「辛亥」は年号ではない
ここで注意したいのは、「辛亥」が年号ではないことです。
辛亥は六十干支による年の呼び方です。
日本で「大化」「白雉」などの年号が使われるようになる以前から、中国を中心とした東アジアでは、干支によって年を表す方法が使われていました。
そのため古代史では、
干支による紀年
中国の年号
記紀に記された年代
考古資料の編年
を照らし合わせることがあります。
稲荷山古墳の鉄剣は、その仕組みを具体的に見ることのできる代表的な資料です。
一振りの鉄剣から古代の時間を読む
「辛亥年」。
現代ならわずか二文字の干支です。
しかし、その二文字が115文字の銘文の中に残ったことで、古代の人物と出来事を具体的な時間の中に置くことが可能になりました。
六十干支は60年で一巡します。
だからこそ、干支だけでは年代を断定できません。
一方で、人物名や他の史料、考古資料を重ねることで、その60年のどこに位置するのかを考えることができます。
暦は、日々の日付を知るためだけのものではありません。
古代に残された「時の記録」を読み解く手がかりにもなっています。
このシリーズでは、古墳や出土品などに残された暦や時間の痕跡から、古代の時間へ近づいてみたいと思います。
次は、奈良市の富雄丸山古墳から見つかった巨大な蛇行剣を取り上げます。
そこには「辛亥年」のような年紀はありません。
では、文字で年が残されていない古墳を、考古学はどのように年代づけるのでしょうか。
参考資料・出典
・埼玉県立さきたま史跡の博物館「金錯銘鉄剣」
・国宝展示室 – 埼玉県立さきたま史跡の博物館
・埼玉県立さきたま史跡の博物館紀要「稲荷山鉄剣における辛亥年について」
・武蔵埼玉稲荷山古墳出土品 文化遺産オンライン
・埼玉古墳群紹介 – 埼玉県立さきたま史跡の博物館
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シリーズ:暦から読む古代史
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