キトラ古墳の天文図|古墳の天井に描かれた古代の天空

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奈良県明日香村にあるキトラ古墳。

石室の天井を見上げると、そこには多数の星と円を組み合わせた天文図が描かれています。

前回取り上げた高松塚古墳にも二十八宿を中心とする星宿図がありました。

しかし、キトラ古墳の天井には、

赤道、黄道、内規、外規、と呼ばれる円まで描かれています。

これは単に星を並べた図ではありません。

天空の構造そのものを一枚の図として表そうとした、本格的な中国式天文図です。

今回は、古墳の天井に残された「天空の地図」から、古代の時間へ近づいてみます。

左:天井に描かれた星宿  右:上は奎宿、下は牛宿 (「高松塚古墳壁画フォトマップ資料」より)

キトラ古墳とは

キトラ古墳は、奈良県高市郡明日香村にある円墳です。

7世紀末から8世紀初頭頃に造られたと考えられています。

墳丘は二段に築かれ、中央には凝灰岩の切石を組み上げた石室があります。

1983年、ファイバースコープによる調査で北壁の玄武が確認されました。

その後の調査で、

青龍、白虎、朱雀、十二支像、天文図、太陽と月、

が次々に確認されていきました。

高松塚古墳に続く、日本で2例目の本格的な壁画古墳です。

天井いっぱいに描かれた天文図

キトラ古墳の天井には、多数の星が配置されています。

星々は線で結ばれ、中国式の星座を形づくっています。

そして大きな特徴が、星々を囲む複数の円です。

文化庁の資料では、

内規、外規、赤道、黄道、 が確認されています。

「赤道」は天球上の赤道。

「黄道」は、天空上で太陽が一年をかけて移動していく道筋です。

つまりキトラの天文図には、

星の位置だけでなく、天空を測るための基準線まで描かれている ことになります。

内規と外規とは

内規は、北の空で一年を通して地平線の下に沈まない範囲を示す円です。

外規は、観測地点から見ることのできる天空の範囲を示します。

文化庁の模式図では、

内規 直径約168ミリ
外規 直径約606ミリ
赤道 直径約403ミリ
黄道 直径約405ミリ

と推定されています。

もちろん、古代の人が現在と同じ言葉や計算法で天空を理解していたという意味ではありません。

しかし、星空をただ眺めるだけではなく、

一定の座標体系として整理していた ことが分かります。

黄道と暦のつながり

ここで、これまで扱ってきた暦と天文図がつながってきます。

二十四節気は、太陽が黄道上のどこにいるかを基準に一年を区切る仕組みです。

現在なら、春分を黄経0度として、

立春315度、春分0度、夏至90度、秋分180度、冬至270度、

といった形で太陽の位置を表します。

キトラ天文図の黄道がそのまま現在の二十四節気計算を表しているわけではありません。

しかし、 太陽が天空の一定の道を通る という認識は、暦を組み立てる天文学の基本でもあります。

ここで、古墳の天井と現在の暦が一本の線でつながってきます。

高松塚の星宿図との違い

高松塚古墳の天井では、東西南北に七宿ずつ、二十八宿を中心とした星宿図が描かれていました。

キトラ古墳では、二十八宿だけでなく、それ以外の中国式星座も描かれています。

さらに、内規、外規、赤道、黄道 が加わります。

国指定文化財等データベースでも、キトラ古墳の天文図は高松塚古墳の星宿図より本格的な構成を持つものとして説明されています。

高松塚が「星宿を配置した天空図」だとすれば、キトラでは、

天空そのものを測るための仕組みまで描かれている と考えると違いが分かりやすくなります。

太陽と月も天井にある

キトラ古墳の天井には星だけではありません。

東側には金箔で太陽。

西側には銀箔で月。

が描かれています。

星、太陽、月。

そこに赤道と黄道が加わります。

石室の天井は、いわば古代の小さな天空になっています。

壁面に目を移せば、そこには東西南北の四神と十二支がいます。

天井と壁を合わせて見ることで、

星・太陽・月・方位・時間 が一つの空間に組み込まれていることが分かります。

現存する非常に古い中国式天文図

文化庁では、キトラ古墳の天文図について、赤道や黄道を備えた本格的な中国式星図として、現存する世界最古級の重要な例と位置づけています。

文化遺産データベースでも、東アジアに現存する最古の精密な星図の一つとして高い学術的価値が認められています。

ただし、この星図が日本で一から観測して作られたものなのか、その原図がどこで作られたのかについては、別の研究課題です。

中国や朝鮮半島を含む東アジアから伝わった原図との関係が考えられています。

つまり、キトラ天文図を見ることは、

古代日本だけを見ることではなく、東アジアの天文学交流を見ること でもあります。

<h2>古墳の天井から「暦」を見る</h2>

キトラ古墳の天文図には、日付は書かれていません。

年号もありません。

それでも、この図は暦と深くつながっています。

暦を作るためには、

太陽はどこを動くのか。
月はどう動くのか。
星はどこにあるのか。
一年をどう区切るのか。

を理解する必要があります。

暦の背後には、いつも天文学があります。

キトラ古墳に残されたのは、

暦そのものではなく、暦を可能にした天空の知識

と見ることができます。

高松塚古墳では二十八宿。

キトラ古墳では、さらに黄道・赤道を備えた天文図。

暦を追って古代へ向かうと、ついには古墳の天井に描かれた宇宙へたどり着きます。

次は、その天井から壁へ目を移します。

四神の下に描かれているのは、

動物の頭と人間の体を持つ十二支像 です。

私たちが「今年は午年」などと使っている十二支は、古墳の中ではどのような姿をしているのでしょうか。

参考資料・出典

文化庁資料では天文図に内規・外規・赤道・黄道が描かれ、文化庁の現行案内では赤道・黄道を備えた本格的な中国式星図として説明されています。


国立天文台報にキトラ古墳天文図の観測年代と観測地についての論文があったので紹介します。

国立天文台報 第18 巻,1– 12(2016)                キトラ古墳天文図の観測年代と観測地の推定
相馬 充

要旨
 奈良県明日香村にあるキトラ古墳には,その石室天井に精緻な天文図がある.そこには天の赤道,周極星の範囲を示す内規と外規や黄道とともに350以上の星が描かれ,それらの星々は朱線によって74以上の星座に配されている.星の位置は必ずしも正しいとはいえないが,描かれている星々のうち,赤緯が正しく描かれたと見なせる11星を使って,その天文図の元になった観測が行われた年と観測地緯度を推定した.結果は,観測年(西暦):300年±90年,観測地緯度:33°.9 ± 0°.7である.観測地としては,以前の研究で候補とされた朝鮮半島ではなく,中国の長安(今の西安,北緯34°.3)や洛陽(北緯34°.6)が考えられる.


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