青龍、朱雀、白虎、玄武。
これまで二十八宿を見てきた中で、何度も登場した四神です。
東方青龍、南方朱雀、西方白虎、北方玄武。
しかし四神は、暦や星の説明の中だけに存在しているわけではありません。
日本の古墳にも、その姿が残されています。
代表的なのが、高松塚古墳と、キトラ古墳です。
ここでは、古墳に残された四神から、これまで見てきた星・方位・十二支・時間を一つにつないでみます。
四神とは
四神は、中国で形成された四方を象徴する神獣です。
東を青龍。
南を朱雀。
西を白虎。
北を玄武。
が司ります。
それぞれ単なる動物の絵ではなく、方位と結びついた象徴として使われました。
さらに古代中国の天文学では、天空の二十八宿も東西南北の四方に七宿ずつ分けられます。
そのため、
東方七宿―青龍
南方七宿―朱雀
西方七宿―白虎
北方七宿―玄武
という関係が生まれます。
これまで二十八宿の記事で扱ってきた四神が、古墳の壁画では実際に四方の壁へ描かれているのです。

高松塚古墳の四神
高松塚古墳では、
東壁に青龍、
西壁に白虎、
北壁に玄武
が残っています。
南壁には本来、朱雀が描かれていたと考えられています。
しかし南壁は盗掘による損傷を受けており、朱雀像は残っていません。
天井には二十八宿を表す星宿図。
東西の壁には太陽と月。
その下に四神。
高松塚古墳では、
天空と方位が一つの墓室空間として組み立てられている
ことが分かります。
キトラ古墳には四神すべてが残る
キトラ古墳では、
東壁に青龍、
南壁に朱雀、
西壁に白虎、
北壁に玄武
が描かれています。
文化庁によると、高松塚古墳では朱雀が失われているため、
四神すべての図像がそろって残る国内の古墳壁画として、キトラ古墳は特に重要です。
1983年に最初に確認された壁画も、北壁の玄武でした。
その後、
白虎、青龍、天文図、朱雀 が確認され、石室全体の構成が明らかになっていきました。
東の青龍
青龍は東を司ります。
キトラ古墳では東壁に描かれています。
長い体を持つ龍の姿で表現されています。
保存状態の関係で泥土に覆われている部分もありますが、角や大きく開いた口、長い舌などが確認されています。
東は太陽が昇る方向です。
古代中国の四神思想では、東は青龍と結び付けられました。
二十八宿でも、
角・亢・氐・房・心・尾・箕
の七宿が東方青龍に属します。

南の朱雀
朱雀は南を司る鳥の姿の神獣です。
キトラ古墳では南壁に描かれています。
地を蹴り、羽を大きく広げた躍動的な姿です。
高松塚古墳では失われているため、キトラ古墳の朱雀は特に貴重です。
南方七宿は、
井・鬼・柳・星・張・翼・軫。
これらが朱雀の姿に対応すると考えられてきました。

西の白虎
白虎は西を司ります。
キトラ古墳の白虎には、興味深い特徴があります。
頭が北を向いています。
国営飛鳥歴史公園では、高松塚古墳などに見られる一般的な白虎とは向きが逆であることを特徴として挙げています。
細長い体を持ち、前脚を突き出した姿で描かれています。
西方七宿は、
奎・婁・胃・昴・畢・觜・参。
これらは西方白虎に対応します。

北の玄武
玄武は北を司ります。
姿は、
亀に蛇が絡みついた形
で表されます。
キトラ古墳で最初に確認された壁画が、この玄武でした。
亀の甲羅と、それに絡む蛇。
二つの生き物を組み合わせた独特の姿です。
北方七宿は、
斗・牛・女・虚・危・室・壁。
これらが北方玄武に属します。

四神の下には十二支がいる
キトラ古墳では、四神だけを見るのでは十分ではありません。
その下には十二支像があります。
さらに天井には天文図。
東には太陽。
西には月。
つまり石室内部を上から見ると、
天井=天空
壁の中央=四方を司る四神
壁の下部=十二の方位を示す十二支
という構成が見えてきます。
これらはそれぞれ独立した絵ではなく、方位に対応するよう計画的に配置されています。
四神と二十八宿
これまでに、二十八宿の記事では、
東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀、それぞれに属する七宿を見てきました。
二十八宿全体を見ると、七宿 × 四方=二十八宿という構造があります。
そして、その四方を象徴するのが四神です。
高松塚・キトラという実際の古墳を見ることで、
二十八宿の「東西南北」が単なる一覧表上の分類ではなかった ことがよく分かります。
四神は、天空の方位を視覚的に表す存在でもあったのです。
古墳そのものが一つの世界になっている
キトラ古墳の石室には、
星、太陽、月、四神、十二支 があります。
これまで別々に扱ってきたものが、一つの空間に配置されています。
天には星。
東西には日と月。
四方には四神。
その下には十二支。
文化庁は、キトラ古墳壁画を「古代人の時空認識を今に伝える貴重な作例」としています。
ここでいう「時空」という言葉が、このシリーズには非常によく合います。
古代の暦は、単に一日、一月、一年を数えるだけのものではありませんでした。
空の動きと、方位と、時間と、人の暮らす世界を、
一つの体系の中で理解しようとしたものでもあります。
古墳から見えてきた「古代の時間」
「暦から読む古代史」では、六つの題材を見てきました。
稲荷山古墳では、鉄剣に刻まれた辛亥年。
富雄丸山古墳では、文字のない遺物を年代づける編年。
高松塚古墳では、天井に描かれた二十八宿。
キトラ古墳では、黄道・赤道を備えた天文図。
さらに、十二支による方位 と、 青龍・朱雀・白虎・玄武の四神
を見てきました。
文字。モノ。星。太陽。月。方位。それぞれ別のものに見えます。
しかし、古代の「時間」という視点から見ると、少しずつ一つにつながってきます。
暦は紙の上だけに残るものではありません。
鉄剣の銘文にも、古墳の形にも、天井の星にも、壁に描かれた神獣にも、
その時代の時間の捉え方が残されています。
参考資料・出典
- 高松塚古墳 高松塚古墳の現場 | 文化庁
- 高松塚古墳 石室解体事業の概要(平成19年10月)
- 国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開(平成21年秋)リーフレット
- 国指定文化財等データベース「キトラ古墳壁画」 詳細解説は以下に引用。
奈良県高市郡明日香村のキトラ古墳(特別史跡)は七世紀末から八世紀初頭に築かれた直径約十四メートルの小さな円墳である。古墳としては終末期古墳に分類され、石室天井の形状はほぼ同時期の高松塚古墳(特別史跡)よりも古い形式をとる。昭和五十八年から順次確認された壁画は、石室内で崩壊しかかっていたため、平成十六年から保存のために暫定的に石室からはぎ取られた。その後、平成二十八年までに安定化と再構成が完了し、同年秋から一般公開が行われている。
壁画は平滑に仕上げられた凝灰岩の切石の表面に漆喰で下地を作り、各種の色材で描かれる。四方の壁の中央には四方と四季を司る青龍・朱雀・白虎・玄武の四神が描かれ、各神の下には十二の方角を守護する獣頭人身の十二支が各面に三体ずつ配される。十二支は現状、子・丑・寅・午・戌・亥の存在が確認できる。残る辰・巳・申については表面を覆った泥土と漆喰地の間に何かが残存している可能性を残すが、卯・未・酉は完全に失われている。さらに天井には全面に天文図を描き、天井の東西壁との境目近くに日像と月像を配する。これらは相互に緊密な関係を持って計画的かつ整然と配置されており、この当時の人々の世界観をよく示しているものと言えよう。キトラ古墳においては、これら壁画の全体構想が判明する点が極めて貴重で、とくに高松塚古墳では失われている朱雀が良好な状態で残っていることが特筆される。天文図も東アジアにおける最古例に位置づけられる貴重なものである。線描や賦彩による絵画表現にも見るべきものがあり、各所に下描き時に付けられたと考えられる凹み線が明瞭に認められる点も絵画史研究上、極めて意義深い。「高松塚古墳壁画」(国宝)とともに我が国の古代絵画史を考える上で不可欠な作例である。
『古事記』『日本書紀』には、古代の時間がどのように記録されているのでしょうか。
次のシリーズ 「記紀から読む古代の暦」へ続きます。
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シリーズ記事一覧

シリーズ:暦から読む古代史
- 稲荷山古墳の辛亥年銘鉄剣
- 富雄丸山古墳の巨大蛇行剣
- 高松塚古墳の星宿図
- キトラ古墳の天文図
- キトラ古墳の十二支像
- 古墳に残る四神
次のシリーズ:記紀から読む古代の暦
- 神武天皇即位の辛酉
- 初期天皇の即位年はどう置かれたか
- 『日本書紀』の干支紀年
- 神代にはなぜ年次がないのか
- 乙巳の変・壬申の乱など、干支が事件名に残る例