神社の原点|日本人はどこで神を祀ったのか

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はじめに ― 神社がなかった時代へ

私たちが「神社」と聞いて思い浮かべるのは、鳥居をくぐり、参道を進み、その先に拝殿や本殿がある風景ではないでしょうか。

しかし、日本人の神への祈りは、こうした社殿が整えられるよりも前から存在していました。

では、建物としての神社がまだなかった時代、人々はいったいどこで神を祀っていたのでしょうか。

この問いから、「神社と暦」シリーズを始めたいと思います。

神社の原点をたどっていくと、やがて山や岩、森、水、海、島といった自然の中の「特別な場所」が見えてきます。

そしてその先には、季節や農耕、太陽や月、さらには暦との関係も見えてくるはずです。


神社の原点は「建物」だけでは語れない

現在の神社には、本殿、拝殿、鳥居、参道など、さまざまな建造物があります。

しかし、神への祭祀の始まりを考えるとき、現在の神社建築をそのまま古代へ遡らせることはできません。

國學院大學博物館は、日本の神々への祭りについて、人々の定住以後に独自の発展を遂げ、古墳時代には現在の神宝にも通じる品々が神に奉られるようになり、7世紀後半には農耕の祭りを中心として神道祭祀の制度が整えられた、と説明しています。

つまり、長い時間の中で祭祀の形そのものが変化してきたのです。

そこで最初に考えたいのが、

建物がなくても、そこは祈りの場所になり得たのではないか。

ということです。


山・岩・森・水 ― 自然の中にあった祈りの場所

古代の人々にとって、自然は現在よりもはるかに身近であり、ときには人の力を超えた存在でもありました。

そびえる山。

巨大な岩。

深い森。

湧き出る水。

海の彼方に浮かぶ島。

こうした場所の中には、日常の生活空間とは異なる、特別な意味を持つ場所がありました。

やがて私たちは「磐座」「神籬」「神奈備」といった言葉にも出会うことになります。

ただし、ここで注意しておきたいことがあります。

縄文・弥生時代の祭祀遺跡が見つかったからといって、それをそのまま後世の「神道」や「神社」と呼ぶことはできません。

後世の文献に現れる神々の信仰と、考古学によって確認される古い祭祀とは、まず分けて考える必要があります。

このシリーズでは、その境界を大切にしながら神社の原点を探っていきます。


山そのものを拝む ― 三輪山

古い神祀りの姿を考えるうえで、非常に重要な場所の一つが奈良県の三輪山です。

大神神社では、祭神が三輪山に鎮まるとして、古来、本殿を設けず、三輪山そのものに祈りを捧げる祭祀の形を伝えています。

大神神社自身も、この姿を「神社の社殿が成立する以前」の神祀りの姿を伝えるものと説明しています。『古事記』『日本書紀』にも三輪山への鎮座をめぐる伝承が記されています。

ここでは、

建物の中に神を祀る

というより、

山そのものに向かって祈る

という姿が見えてきます。

これは、「神社とは建物なのか」という最初の問いを考える重要な手掛かりになります。

三輪山(奈良県桜井市)


海の彼方にも祈りの場所があった ― 沖ノ島

祈りの場所は山だけではありません。

福岡県宗像市の沖合にある沖ノ島では、4世紀から9世紀にかけて行われた古代祭祀の変遷を示す考古遺跡が残されています。

文化庁は、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」について、沖ノ島から始まった古代祭祀の変遷と、「神宿る島」を崇拝する文化的伝統が今日まで継承されてきたことを示すものとしています。

出土品には鏡、武器類、金銅製品、唐三彩など多彩な奉献品があり、古墳時代から平安時代に至る祭祀の姿を伝える重要な考古資料となっています。

ここで見えてくるのは、三輪山とはまた違った祈りの姿です。

山を仰ぐ祈り。

そして、

海の彼方の島を神聖な場所とする祈り。

日本の古代祭祀は、一つの形だけで語れるものではなかったことが分かります。

沖ノ島(福岡県宗像市)

宗像大社の神領(御神体島)で、沖津宮(おきつぐう)が鎮座する。


「八百万の神」へつながる世界

山、岩、森、水、海、島。

こうした自然の中に祈りの場所を見いだしていくと、やがて日本の神々を考えるうえで欠かせない言葉に行き着きます。

**八百万の神(やおよろずのかみ)**です。

ただし、

古代人は自然物をすべて神だと考えていた

と単純に説明することはできません。

また、縄文時代や弥生時代の祭祀を、そのまま「八百万の神への信仰」と呼ぶことにも慎重であるべきでしょう。

「八百万」という表現が文献の中でどのように使われ、日本の神々がどのように考えられてきたのかについては、別の記事で詳しくたどります。

それでも、自然の中のさまざまな場所が祈りの対象となってきたことを考えると、「日本人にとって神とは何だったのか」という次の大きな問いが生まれてきます。


祈りの「場所」が定まっていく

祭祀が繰り返されれば、ある場所は人々にとって特別な場所になっていきます。

そこへ神を迎える。

供え物をする。

祈りを捧げる。

そして、同じ場所で祭祀を繰り返す。

こうした営みの長い積み重ねの先に、後世の神社へとつながる祭祀空間を考えることができます。

ただし、

自然崇拝 → 磐座 → 神籬 → 社殿 → 神社

という一本道で、全国の神社が同じように成立したと考えるのも適切ではありません。

地域によって自然環境も祭祀も異なり、神社が成立していく過程には多様な歴史があります。

この「違い」も、これから一つずつ見ていきます。


そして「暦」が必要になる

ここからが、「神社と暦」シリーズで特に考えてみたいところです。

人々が自然の中で暮らし、農耕を行うようになると、季節の変化を知ることはますます重要になります。

春が来る。

雨が降る。

作物を育てる。

実りを迎える。

冬が来る。

自然の循環の中で生活するためには、「いつ」なのかを知る必要があります。

そして祭祀にもまた、「いつ祈るのか」という時間があります。

國學院大學博物館が7世紀後半の神道祭祀制度について農耕の祭りを中心に整備されたと説明していることからも、少なくとも律令国家形成期には、祭祀と一年の時間秩序との結び付きが制度として明確になっていきます。

ここで、

祈りの場所=神社

と、

祈りの時=暦

が交わり始めます。


神社はなぜ「そこ」にあるのか

神社の原点をたどると、もう一つ疑問が生まれます。

なぜ、その山だったのでしょう。

なぜ、その岩だったのでしょう。

なぜ、その森、その水、その島だったのでしょう。

さらに祭祀の場所が定まっていくと、

人々は、どちらを向いて祈ったのだろう。

という問いも生まれます。

山の方向なのか。

海の方向なのか。

日の昇る方向なのか。

あるいは、その土地固有の別の理由があったのか。

ここには、地形だけでなく、太陽・月・星、季節、農耕、そして暦との関係を検討できる可能性があります。

ただし、方角が一致するというだけで「天文学的に設計された」と結論づけることはできません。

史料、考古学、地形、実際の方位などを一つずつ確かめながら考えていきます。

これは、このシリーズの後半で改めて取り上げます。


まとめ ― 神社の始まりを「場所」から考える

神社の原点を探るとき、最初から現在の社殿を思い浮かべる必要はありません。

その前に、

山があり、

岩があり、

森があり、

水があり、

海がありました。

そして、その自然の中に、人々が特別な意味を感じ、祈りを捧げた場所がありました。

三輪山には、現在も山そのものに祈りを捧げる祭祀の姿が伝えられています。沖ノ島には、4世紀から9世紀にわたる古代祭祀の変遷を示す遺跡が残されています。

神社の原点を考えることは、

日本人は、何を神聖なものと感じ、どこで祈ってきたのか。

を考えることでもあります。

そして、その祈りにはやがて「場所」だけでなく、「時」が加わります。

季節が巡り、祭りの日が訪れる。

その「時」を知らせるものの一つが暦です。

神社と暦。

この二つがどのように結び付いていったのか。

まずは、神社が形を現す以前の「祈りの場所」から、ゆっくりたどっていきます。


参考資料


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