神社ができる前にも、祈りはあった
現在の神社には、鳥居があり、参道があり、その先に拝殿や本殿があります。
しかし、日本列島に暮らした人々の祈りの歴史をたどると、現在のような神社が成立するよりもはるか以前から、人々が日常とは異なる特別な行為を行っていたことを示す遺跡や遺物が残されています。
國學院大學博物館も、考古学について、文字のない時代を含め、遺跡・遺構・遺物という「モノ」から人々の歴史を探る学問であると説明しています。
文字による記録が残されていない時代。
私たちは、そこで祈った人々の言葉を直接聞くことはできません。
しかし、残された「モノ」を通して、その姿の一端を考えることはできます。
縄文時代の祈りを、どこまで知ることができるのか
縄文時代の遺跡からは、土偶や石棒をはじめ、日常生活の道具だけでは説明しにくいさまざまな遺物が出土しています。
また、環状列石など、一定の場所を特別な空間として利用したと考えられる遺構も知られています。
これらについて、祭祀、儀礼、墓制などとの関係が研究されています。
しかし重要なのは、
縄文時代の人々が、後世の神社と同じ神々を祀っていたと確認できるわけではない
ということです。
文字資料がありませんから、「何という神を祀ったのか」「どのような言葉で祈ったのか」まで直接知ることはできません。
したがって、
縄文の祭祀=神道の始まり
と単純につなげることは避けます。
それでも、日本列島では非常に早い時代から、日常生活とは異なる特別な行為や場所が存在したことを、考古学は明らかにしています。國學院大學博物館も、先史時代からの資料を通して、日本列島に生きた人々の精神文化を考古学的にたどる展示を行っています。
弥生時代 ― 農耕と祈り
弥生時代になると、日本列島の多くの地域に水田稲作が広がっていきます。
稲を育てる生活では、季節の変化が大きな意味を持ちます。
水を得る。
種を播く。
稲を育てる。
そして収穫する。
人の力だけではどうすることもできない雨や日照、気温などの自然条件が、実りを大きく左右します。
こうした農耕社会の中で、祭祀も重要な役割を担ったと考えられています。
その代表的な遺物の一つが銅鐸です。
文化庁の文化遺産データベースでは、弥生時代の銅鐸を村落の祭器とし、農耕祭祀に際して用いられたものと説明しています。
また、神戸市の本山遺跡から出土した銅鐸についても、弥生時代の「銅鐸祭祀」を考えるうえで重要な資料とされています。
ここで、後の「神社と暦」につながる大切な要素が姿を現します。
農耕と季節です。

銅鐸・銅矛
荒神谷遺跡(島根県出雲市斐川町)
自然は「恵み」であり「脅威」でもあった
古代の人々にとって、自然は恵みを与える存在であると同時に、人間には制御できない力でもありました。
雨が降れば作物は育ちます。
しかし、降りすぎれば洪水になります。
太陽の光は稲を育てます。
しかし、日照りが続けば作物は枯れます。
山から流れる水は田を潤します。
一方で、山は洪水や土砂災害をもたらすこともあります。
海は魚や交易の道を与えますが、ときには嵐によって人の命を奪います。
こうした自然と向き合って暮らす人々にとって、
人間の力を超えたものと、どのように関わるのか
は、生きることそのものに関わる問題だったでしょう。
ただし、ここでも「だから山や水を神と呼んだ」と一足飛びに結論づけることはしません。
考古学的に確認できる祭祀と、後世の文献に現れる「神」の観念との間には、長い時間があります。
なぜ「場所」が重要だったのか
ここで、第1記事で取り上げた「場所」に戻ります。
山。
岩。
森。
水。
海。
島。
後世の神社を見ると、こうした自然環境と深い関係を持つものが少なくありません。
しかし、だからといって、現在神社がある場所のすべてが縄文・弥生時代から祭祀の場だったということにはなりません。
ここは区別する必要があります。
私たちが追いたいのは、
自然の中の特別な場所で行われた祭祀が、後世の神祀りとどのような関係を持つようになったのか
という問題です。
その手掛かりとなる言葉が、これから登場する
神籬(ひもろぎ)
磐座(いわくら)
神奈備(かんなび)
です。
山 ― 見上げる場所
山は、遠くからでもその姿を見ることができます。
集落から見える特徴的な山。
水をもたらす山。
雲がかかり、雨を呼ぶ山。
そして、人が容易には立ち入れない山。
後世には、山そのものを神聖な場所として祀る信仰が各地に見られます。
その代表的な例として、このシリーズでは後ほど三輪山を詳しく取り上げます。
現在の大神神社には本殿がなく、三輪山そのものを御神体として祈る祭祀形態が伝えられています。
しかし、この姿をそのまま縄文時代まで遡らせることはしません。
むしろ、
なぜ山が祈りの場所になり得たのか。
そこから考えていきます。

大神神社は三輪山を神体山として扱っており、山を神体として信仰の対象とするため、本殿がない形態となっている。
こうした形態は、自然そのものを崇拝するという特徴を持つ古神道の流れに大神神社が属していることを示すとともに、神社がかなり古い時代から存在したことをほのめかしている。
(ウィキペディア(Wikipedia))
岩 ― 動かないもの
巨大な岩や特徴的な岩も、各地で特別な意味を持つ場所となってきました。
人間よりはるかに長い時間そこにあり、容易には動かすことができない岩。
後世には、神が宿る、あるいは神を迎える場所として理解される岩も現れます。
そこから「磐座」という言葉へつながっていきます。
ただし、「大きな岩がある=古代の磐座」と判断することはできません。
周辺の遺構・遺物、伝承、文献などを合わせて考える必要があります。
これも個別記事で詳しく扱います。
森 ― 境界となる場所
神社へ行くと、社殿の周囲を森が囲んでいることがあります。
現在では「鎮守の森」という言葉もよく知られています。
森は、生活する場所とは異なる空間をつくります。
明るい場所から木々の中へ入れば、光も音も変わります。
しかし、現在の鎮守の森をそのまま先史時代の信仰へ結びつけることも慎重でなければなりません。
重要なのは、
自然の一部が、日常とは異なる空間として区別される
という視点です。
後の神社では、この「境界」が非常に重要になります。
鳥居や注連縄なども、内と外を分けるものとして現れてきます。
水 ― 命を支える場所
水は、人間の生活にも農耕にも欠かせません。
川。
泉。
井戸。
滝。
湧水。
こうした場所が後世の信仰や祭祀と結び付いている例は各地にあります。
特に稲作が広がった社会では、水をいつ、どれだけ得られるかは極めて重要でした。
ここから、
水 → 稲作 → 季節 → 祭祀
というつながりが見えてきます。
そして、この線をさらに延ばすと、
暦
へ行き着きます。
「自然そのものが神」だったのか
ここは、このシリーズで大切にしたいところです。
「日本人は自然を神として崇拝した」
という説明をよく目にします。
大きな意味では、日本の神祀りと自然との深い関係を表す言葉でしょう。
しかし、古代まで遡って考える場合には、もう少し慎重に見ていきます。
山そのものを神と考えたのか。
山に神が宿ると考えたのか。
山を神が降りる場所と考えたのか。
それとも、その場所で祭祀を行ったのか。
これらは必ずしも同じではありません。
時代や地域によっても違った可能性があります。
だからこそ、
「自然崇拝」という一言で終わらせない。
これを「神社と暦」シリーズの基本姿勢にしたいと思います。
そこから「八百万の神」へ
山にも。
海にも。
水にも。
木にも。
そして、人々の生活に関わるさまざまなところにも、神々の存在が語られるようになります。
そこで登場するのが、
八百万の神
という日本独特の表現です。
しかし、「八百万」という言葉が文献に現れる世界と、縄文・弥生時代の祭祀遺跡とは、そのまま同じものではありません。
では、
日本人は、いつから「八百万の神」と語るようになったのでしょうか。
そして、
八百万とは、本当に「800万」という意味なのでしょうか。
さらに、
自然そのものが神なのでしょうか。それとも自然の中に神を感じたのでしょうか。
ここは一記事を使って考える価値があります。
次の記事で、この問題を詳しく見ていきます。
暦への小さな入口
そして、もう一つ忘れてはいけないのが「時間」です。
農耕が生活の重要な部分になれば、
いつ雨が降るのか。
いつ暖かくなるのか。
いつ種を播くのか。
いつ収穫するのか。
季節を知ることが重要になります。
祭祀にも、
どこで祈るか
だけでなく、
いつ祈るか
という問題が生まれます。
國學院大學博物館は、日本の神々への祭りが定住以後に独自の発展を遂げ、7世紀後半には農耕の祭りを中心として神道祭祀の制度が整えられたと説明しています。
後の律令国家では、祈年祭をはじめとする祭祀が一年の中に制度的に配置されていきます。
ここまで来ると、
自然 → 農耕 → 季節 → 祭祀 → 暦
という流れが見えてきます。
ただし、それはまだずっと先の話です。
今はまず、建物としての神社が形を現すより前の世界を見ています。
まとめ ― 建物より先に、祈りがあった
神社の原点をたどると、現在のような本殿や拝殿よりも前の時代へ行き着きます。
文字のない時代について、私たちは当時の人々が何を神と呼び、どのような言葉で祈ったのかを直接知ることはできません。
しかし、遺跡や遺物からは、日常生活だけでは説明できない祭祀や儀礼の痕跡を見ることができます。
そして農耕が広がるにつれて、自然の巡りは人々の生活とさらに深く結び付いていきました。
山。
岩。
森。
水。
人々は自然とともに暮らし、その中に特別な場所を見いだしていきます。
やがて、そうした祈りの世界から、神を迎える場所、神を祀る場所、そして後世の神社へとつながる歴史が見えてきます。
けれど、その前に一つ考えておかなければなりません。
そもそも、日本人にとって「神」とは何だったのでしょうか。
その問いを追うため、次は「八百万の神」の世界へ進みます。
主な参考資料
- 國學院大學博物館「考古ゾーン」
先史時代からの遺跡・遺構・遺物を通じて日本列島の精神文化を考えるための基礎資料。 - 國學院大學博物館「神道祭祀の淵源」
古墳時代の奉献品から7世紀後半の祭祀制度成立までを確認できます。 - 文化遺産オンライン「本山遺跡出土銅鐸」
実際の発掘状況が分かるため、「銅鐸祭祀」を具体的に見る資料として使えます。 - 文化遺産オンライン「流水文銅鐸」
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