三輪山と大神神社|本殿を持たない古い祈りのかたち

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本殿のない神社

神社には本殿がある。

そう思っている人は多いのではないでしょうか。

ところが奈良県桜井市に鎮座する**大神神社(おおみわじんじゃ)**には、本殿がありません。

本殿の代わりに、その背後にそびえる**三輪山(みわやま)**そのものを神体山として仰ぎます。

大神神社では、御祭神である大物主大神が三輪山に鎮まるため、古来、本殿を設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝する祭祀の姿を伝えていると説明しています。

これまで「神社の原点」をたどってきた私たちにとって、これは非常に重要な姿です。

神を祀る場所に、必ず本殿が必要だったわけではない。

そのことを、現在の神社で実際に見ることができるからです。


三輪山そのものを拝む

三輪山は、奈良盆地の東南部に位置する山です。

大神神社の祭祀では、この山そのものが重要な意味を持っています。

一般的な神社では、本殿に御神体が奉安され、その前方にある拝殿から参拝します。

しかし大神神社では、

拝殿

三ツ鳥居

三輪山

という構造になっています。

三輪山(奈良県桜井市)

拝殿から三ツ鳥居を通して、その向こうにある三輪山へ祈りを捧げるのです。大神神社も、この姿を「原初の神祀り」の姿を伝えるものとしています。

前の記事で取り上げた**神奈備(かんなび)**という言葉が、ここで具体的な風景になってきます。

建物だけが神聖なのではありません。

その背後にある山そのものが、祈りの中心にあるのです。


三ツ鳥居 ― 拝殿と神の山の境

拝殿の奥には、大神神社独特の**三ツ鳥居(みつとりい)**があります。

「三輪鳥居」とも呼ばれます。

大神神社によれば、三ツ鳥居は三輪山と拝殿を区切る位置にあり、その奥は禁足地となっています。

三ツ鳥居の起源そのものは分かっていません。

境内では本殿を置かず、拝殿奥の三ツ鳥居を通して神体山である三輪山を拝む形式をとり、三ツ鳥居は神の山である三輪山と拝殿を区切る場所に立つ結界で、三輪鳥居とも呼ばれる独特の形式の鳥居である。

しかし古文書にも神秘的な存在として記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきたとされています。

これは興味深い構造です。

こちら側には、人が祈る拝殿。

その向こうには、神聖な三輪山。

その境に三ツ鳥居がある。

つまり三ツ鳥居は、単なる入口というより、

人が祈る空間と、神の山との境

を示しているように見えます。

「神社とは建物である」という見方だけでは、大神神社の姿を十分に説明できないことが分かります。


三輪山には三つの磐座がある

ここで、第4記事で取り上げた**磐座(いわくら)**が再び登場します。

桜井市教育委員会の資料では、三輪山の山中には三か所の磐座があるとされています。

そのうち辺津磐座(へついわくら)は三輪山祭祀の中心的な場所の一つとされ、三ツ鳥居から辺津磐座までの区域は古くから禁足地として扱われてきました。

つまり三輪山には、

神奈備としての山

だけでなく、

磐座

も存在しています。

これまで別々の記事で見てきた言葉が、三輪山という一つの場所で重なってくるのです。


考古学から見える三輪山の祭祀

そして三輪山が重要なのは、伝承だけではありません。

周辺には古代祭祀を考える考古資料も残されています。

桜井市によると、三ツ鳥居の奥にある禁足地からは、

須恵器、

子持勾玉、

多数の臼玉などが出土しています。

さらに1918年に発見された山ノ神遺跡からは、祭祀に用いられたと考えられる土製模造品をはじめ、石製品、須恵器、勾玉、臼玉、管玉、小形銅鏡などが出土しています。

桜井市教育委員会は、これらを三輪山麓における古代祭祀の実態を示す貴重な遺跡と位置付けています。

ここは、このシリーズではとても重要です。

単に、

「昔から三輪山は神聖な山だったと伝えられています」

だけではない。

実際に人々がこの地域で祭祀を行った痕跡が、考古資料として残っている。

三輪山が「神社の原点」を考えるうえで重要なのは、この点にもあります。


では、どこまで古いのか

ここは慎重に書いておきましょう。

大神神社は、自らを我が国最古の神社とし、三輪山を拝する姿を原初の神祀りとして伝えています。

一方、考古学的には、三輪山周辺から古代祭祀に関係すると考えられる遺跡・遺物が確認されています。桜井市の文化財解説では、三輪山麓の祭祀遺跡について弥生時代から奈良時代に至るものとして説明しています。

しかし、

現在の大神神社の祭祀形態が、そのまま弥生時代から変わらず続いている

とまで考古学的に証明されているわけではありません。

ここは分けて考えます。

神社に伝わる由緒・伝承

と、

考古学によって確認できる祭祀の痕跡

です。

両方を重ねながら、三輪山における祈りの歴史を考えることが大切です。

三輪山(奈良県桜井市)


『古事記』『日本書紀』にも現れる三輪の神

三輪山は考古資料だけでなく、古代の文献にも登場します。

『古事記』『日本書紀』には、大物主神と三輪をめぐる伝承が記されています。

特に崇神天皇の時代をめぐる伝承では、大物主神を祀ることが国家の安定と結び付けて語られます。

大神神社も、その由緒を『古事記』『日本書紀』の大物主大神に関する伝承とともに紹介しています。

ただし、ここでも注意が必要です。

『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に成立した文献です。

そこに記された出来事を、そのまま考古学上の年代へ置き換えることはできません。

このシリーズでは、

記紀が伝える三輪山

と、

考古学から見える三輪山

の両方を見ながら進みます。


山へ「入る」ということ

三輪山は、遠くから眺めるだけの山でもありません。

現在、三輪山への登拝は狭井神社から行われますが、一般的な観光登山とは異なり、神体山への登拝として扱われています。

そして拝殿の奥、三ツ鳥居の先には、現在も通常は立ち入ることのできない禁足地があります。大神神社は、この区域について神職さえ通常は立ち入らない神聖な場所と説明しています。

ここには、

山を見る

山を拝む

山へ入る

という異なる関係があります。

前の記事で見た「神奈備」が、単なる古代語ではなく、現在にもつながる「神聖な場所」の感覚として見えてきます。


社殿ができても、山は消えなかった

大神神社にも、もちろん建築物があります。

現在の拝殿は寛文4年(1664)に徳川家綱によって再建されたもので、国の重要文化財です。三ツ鳥居も重要文化財に指定されています。

つまり大神神社は、

「古代のまま建物が一切ない神社」

なのではありません。

長い歴史の中で拝殿などの建築物は整えられてきました。

それでも、

本殿を造らず、三輪山を拝する

という祭祀の基本的な構造が現在にも残っています。

ここが非常に重要です。

新しい時代の建築が加わっても、古い祈りの「場所」が消えたわけではない。

古い形の上に、新しい時代の形が重なっている。

三輪山と大神神社は、その重なりを見ることのできる場所なのです。


山・水・農耕、そして季節

「神社と暦」という視点から見ると、三輪山にはもう一つ興味深い要素があります。

水と農耕です。

大神神社では現在も、三輪山から湧き出る水を引き入れた神饌田で御田植祭が行われています。大神神社の祭典案内では、早苗を植える神事として紹介されています。

ここで、









祭祀

という流れが見えてきます。

そして田植えには季節があります。

収穫にも季節があります。

祭祀にも日があります。

つまり「神聖な場所」を追って三輪山まで来ると、その先に、

季節と時間

が見えてくるのです。

これは、やがて「暦」へつながります。


三輪山は、どちらから拝まれたのか

さらに、これからの「神社と暦」にとって重要な疑問があります。

三輪山を神聖な山として仰いだ人々は、

どこから山を見ていたのでしょうか。

そして、

どちらを向いて祈っていたのでしょうか。

山の形。

集落との位置関係。

日の出・日の入り。

春分・秋分。

夏至・冬至。

こうした天文現象との関係まで考えたくなります。

実際、三輪山麓の檜原神社では、鳥居の正面に二上山があり、桜井市は春分・秋分ごろに夕日が二上山の二峰の間へ沈む景観を紹介しています。

これは非常に興味深い事例です。

ただし、

そのために古代人が神社や祭祀場を配置した

と直ちに結論づけることはできません。

「一致して見えること」と「意図して配置したこと」は別です。

これは第2部で、地形・方位・天文学・史料を照合しながら改めて検討しましょう。


まとめ ― 神社の奥に、山がある

大神神社には、本殿がありません。

拝殿から三ツ鳥居を通して、その背後にある三輪山を拝します。

そして三輪山周辺には磐座があり、古代祭祀に関係する遺物・遺跡も確認されています。

ここには、第1部でこれまで見てきたものが重なっています。

自然の中の祈り。

磐座。

神奈備。

祭祀の場所。

そして、

後世の神社。

三輪山と大神神社を見ると、「神社」というものが、必ずしも建物だけで成立しているのではないことがよく分かります。

むしろその奥に、

人々が長い時間をかけて神聖なものとして向き合ってきた「場所」

があります。

社殿が整えられても、その場所は失われませんでした。

現在も三輪山は、大神神社の祈りの中心にあります。

では、日本の古代祭祀には、山とはまったく異なる場所を神聖なものとした例はないのでしょうか。

あります。

次は山を離れ、海へ向かいます。

沖ノ島と宗像。

そこには、三輪山とは異なる方法で、古代の祭祀そのものを考古学的にたどることのできる世界が残されています。


主な史料・参考資料


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