最初から「神社」があったわけではない
これまで「神社の原点」をたどってきました。
そこで見えてきた祈りの場所には、現在私たちが思い浮かべるような立派な本殿はありませんでした。
神籬(ひもろぎ)。
磐座(いわくら)。
神奈備(かんなび)。
三輪山。
沖ノ島。
人々は自然の中に特別な場所を見いだし、神を迎え、供え物をし、祈りました。
神社本庁も、古い神祀りについて、当初は現在のような社殿がなく、祭りのたびに神を迎えて祭祀を行い、やがて祭りの場所に建物が設けられるようになったと説明しています。
では、
いつから神のための建物が必要になったのでしょうか。
ここから、「祈りの場所」が「神社」へ形を整えていく歴史を見てみましょう。

「最初の神社」は分からない
まず、最初に大切なことがあります。
日本で、
最初の神社がいつ、どこに建てられたのか
を一つに決めることはできません。
古代の祭祀は地域によって異なり、木造建築は長い年月の間に失われやすいためです。
また、「神社」という言葉についても、現在のような、
鳥居があり、拝殿があり、本殿がある
という完成した姿を、そのまま古代へ当てはめることはできません。
考古学。
古代の文献。
現在まで続く神社の祭祀。
これらを組み合わせながら、少しずつ成立の過程を考える必要があります。
國學院大學の「神道・神社史料集成」も、古代の神道を文献史料に基づいて歴史的・実証的に研究する必要性を示しています。
祈りのたびに神を迎える
古い祭祀を考えるとき、一つ重要な考え方があります。
神を迎える
ということです。
祭りのときに場所を清める。
神籬などを設ける。
神を迎える。
供え物をする。
祈る。
そして祭りが終われば神を送る。
このような祭祀であれば、必ずしも神のための恒久的な建物は必要ありません。
前の記事で見た神籬は、この姿を現在にも伝えています。
つまり古い神祀りでは、
建物があるから祭祀をする
のではなく、
祭祀をするために、その都度、神聖な場所を整える
という姿を考えることができます。
では、なぜ建物を造ったのか
祭祀が同じ場所で繰り返されるようになると、状況は少しずつ変わります。
毎年、同じ場所で祈る。
同じ神を祀る。
供え物をする。
祭祀を担う人々がいる。
その場所を守る。
こうした営みが継続すれば、祭祀の場所も次第に恒久的なものになっていきます。
神社本庁は、祭りの場所に神のための建物が設けられ、やがて今日につながる神社の姿が形づくられていったと説明しています。
ただし、
「祭場 → 小屋 → 本殿」
という一つの発展段階が全国共通に存在した、と考える必要はありません。
山を祀る地域。
海を祀る地域。
農耕に関係する祭祀。
氏族が祀る神。
それぞれに異なる歴史がありました。
「神のための建物」が現れる
ここで重要な変化が起こります。
人間が神のいる場所へ出向くだけではなく、
神を祀るための建築空間
が設けられるようになるのです。
これが、後の本殿へつながります。
ただし、本殿だけが神社ではありません。
神社には長い歴史の中で、
本殿
拝殿
幣殿
神門
鳥居
など、さまざまな施設が整えられていきました。
これらも最初から一式そろっていたわけではありません。
現在私たちが見る「神社」は、長い時間をかけて形成されたものなのです。
古い神社建築には何が残っているのか
現在まで伝わる神社建築を見ると、いくつか非常に古い形式があります。
代表的なのが、
神明造(しんめいづくり)
大社造(たいしゃづくり)
住吉造(すみよしづくり)
です。
文化庁の日本遺産ポータルでも、出雲大社の大社造は、伊勢神宮の神明造、住吉大社の住吉造と並ぶ最古段階の神社建築様式と説明されています。
ここから神社の建築そのものを通して、古い神祀りの姿を考えることができます。
伊勢神宮 ― 穀倉を思わせる建築
伊勢神宮の正宮は、神明造と呼ばれる建築様式です。
伊勢神宮は、その特徴について、
切妻。
平入。
高床。
檜の素木。
萱葺の屋根。
掘立柱。
などを挙げています。
そして、その形式について高床式の穀倉の形式から宮殿形式へ発展したものと考えられると説明しています。
ここは、「神社と暦」シリーズにとって非常に興味深いところです。
穀倉。
つまり、穀物を収める建物です。
これまで見てきた、
自然、
農耕、
稲、
祭祀、
という世界と、神社建築がここでも接近してきます。
ただし、
「穀倉がそのまま神社になった」
と単純に断定するのは避けます。
建築形式の類似と、祭祀施設の成立過程は分けて考える必要があります。

出雲大社 ― 「神の宮」という巨大建築
一方、まったく異なる姿を見せるのが出雲大社です。
出雲大社の本殿は、
大社造(たいしゃづくり)
と呼ばれます。
文化庁は、大社造を神明造・住吉造と並ぶ最古段階の神社建築様式として位置付けています。
そして『古事記』『日本書紀』などに伝えられる国譲り神話では、大国主神のために大きな宮を造る物語が語られます。
ここには、
自然の中へ神を迎える祭祀
とは少し違う、
神のために「宮」を設ける
という発想がはっきり現れています。
神社建築を考えるうえで、大きな変化です。

古代より杵築大社(きずきたいしゃ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある。
三輪山は、それでも本殿を持たなかった
しかし、ここで前々回の記事を思い出してみましょう。
大神神社です。
大神神社では、現在も三輪山を神体山として拝し、本殿を設けていません。
つまり、
社殿が成立したから、すべての神祀りが本殿へ移った
わけではありません。
ここがとても重要です。
一方では神のための本殿が発達する。
一方では山そのものを拝む祭祀が残る。
神籬を用いる祭祀も残る。
磐座も残る。
新しい形が現れたからといって、古い形が一斉に消えたのではありません。
異なる時代の祈りの形が、重なりながら残っている。
現在の神社を理解するとき、この視点は非常に大切です。

社殿ができると「場所」が固定される
恒久的な社殿が成立すると、もう一つ重要な変化が起こります。
神を祀る場所が、
より明確に固定される
ことです。
祭りのたびに場所を整えるだけではなく、
「ここが神を祀る場所である」
という空間が継続して維持されます。
すると、
神域。
境界。
入口。
参道。
祭祀を行う場所。
人が祈る場所。
などが、次第に空間として組織されていきます。
ここから、現在私たちが見る、
神社という「場の構成」
が見えてきます。
神の場所と、人の場所
神社へ行くと、私たちは何気なく参道を歩きます。
鳥居をくぐります。
手水を使います。
拝殿の前へ進みます。
しかし、よく見ると神社は、
外から内へ
段階的に進む空間になっています。
人々が生活する場所。
境界。
参道。
人が祈る場所。
そして、その奥にある神聖な場所。
三輪山では、拝殿と三輪山との間に三ツ鳥居がありました。
沖ノ島では、島そのものへの立入りが厳しく制限されました。
形は違っても、
神聖な場所と人の場所を分ける
という考え方が見えてきます。
これが後の神社建築では、より明確な空間構成として表れるようになります。

建物ができると「向き」が生まれる
そして、ここからが「神社と暦」にとって非常に重要です。
建物を造ると、
向き
が生まれます。
どちらを正面にするのか。
参道をどちらへ延ばすのか。
本殿をどちらへ向けるのか。
何を背後に置くのか。
山。
海。
川。
集落。
道。
そして、
太陽。
建物のない祭祀場でも方角は存在します。
しかし恒久的な建築物を造ると、その方向は地上に固定されます。
ここから、
神社の方角は何によって決まったのか
という、シリーズ開始時からの大きな問いがいよいよ姿を現します。
神社は太陽に合わせて建てられたのか
神社について調べると、
「東を向いている」
「冬至の日の出を向いている」
「春分の日に太陽が参道を通る」
といった話を目にすることがあります。
非常に魅力的な話です。
しかし、ここは慎重に進めます。
ある神社が東を向いている。
その方向から特定の日に太陽が昇る。
それだけでは、
その天文現象を意図して神社を配置した
という証明にはなりません。
地形。
山。
川。
古道。
集落。
政治的条件。
祭神。
既存の祭祀場。
さまざまな理由で神社の向きは決まり得ます。
したがって第2部では、
実際の方位
地形
文献
祭祀
太陽の運行
をできるだけ分けて調べます。
「神社は太陽を向いて建てられた」という結論を先に置かず、本当にそうなのかを検証するシリーズにしましょう。
「場所」から「建物」へ、そして「暦」へ
ここまでの第1部を振り返ると、一つの大きな流れが見えてきます。
自然の中に特別な場所を見いだす
↓
そこで祭祀を行う
↓
祭祀が繰り返される
↓
場所が維持される
↓
社殿が設けられる
↓
神社という空間が整えられる
ただし、これはすべての神社がたどった一本道ではありません。
あくまで神社成立を理解するための大きな見取り図です。
そして、建物が現れることで、
どこで祈るか
だけでなく、
どちらを向いて祈るか
という問いが、よりはっきり見えてきます。
さらに祭祀が毎年繰り返されれば、
いつ祈るか
も重要になります。
場所。
方角。
時間。
ここまで来て、ようやく「神社」と「暦」が同じ画面に入ってきます。
まとめ ― 神社は建物から始まったのではない
現在の神社を見ると、私たちはまず鳥居や本殿、拝殿を思い浮かべます。
しかし、その歴史を逆にたどると、建物より先に見えてくるものがあります。
祈りの場所です。
山。
森。
岩。
島。
そこで人々は神を迎え、祭祀を行いました。
やがて祭祀が継続される中で、神を祀るための建物が設けられ、神社という空間が形を整えていきます。神社本庁も、自然の中での祭祀から、祭りの場所に建物が設けられていった流れを説明しています。
しかし、社殿が生まれても古い祈りの形がすべて消えたわけではありません。
神籬は現在にも残ります。
磐座もあります。
三輪山は今も神体山です。
古い祈りの場所の上に、長い年月をかけて新しい神社の姿が重なってきた。
そう考えると、現在の神社の見え方も変わってきます。
そして建物が形を持ったことで、次の疑問が生まれます。
神社は、なぜその場所に建てられたのでしょうか。
山なのか。
水なのか。
集落なのか。
道なのか。
それとも太陽や方角なのか。
「神社の原点」を追ってきた第1部は、いよいよ場所の選び方へ進みます。
主な史料・参考資料
- 神社本庁「神道とは」
自然の中での神祀りから祭祀の場所に建物が設けられていく流れを確認する基礎資料です。 - 伊勢神宮「社殿の建築」
神明造の構造と、高床式穀倉から宮殿形式へ発展したと考えられる建築的特徴を確認できます。 - 文化庁 日本遺産ポータル「出雲大社本殿ほか」
大社造と、神明造・住吉造を古い神社建築様式として確認する資料です。
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