虹蔵不見(にじかくれてみえず) ― 空の彩りが消え、冬の静けさが訪れる ―
目次
🏞 自然 ― 空が凛として澄み、虹が隠れる頃
小雪の初候は「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。
秋の終わり、これまで雨上がりに時折見えていた虹が姿を消し、空から彩りが消えていく頃です。
太陽の光は低く、空気は冷たく乾き、虹を生む湿気が少なくなるため、この名が付けられました。
朝晩はぐっと冷え込み、北国では初雪の便りが届くこともあります。霜柱が立ち、池の表面がうっすらと氷を張り始め、山の稜線は白く染まり始めます。日差しが柔らかく見えても、その温もりの奥には確かな冬の気配が潜んでいます。
空は冴え冴えと澄み、風は冷たく乾いて音も少なくなり、鳥の声も控えめに響きます。
華やかな秋の彩りが過ぎ去り、世界が静けさと透明感に包まれる――そんな「冬支度の空気」を感じる時節です。
【小雪】 (しょうせつ)
寒くなって雨が雪になる
月: 十月中 太陽黄経:240°

初候 虹蔵不見
(にじかくれてみえず)
虹を見かけなくなる
🏡 暮らし ― 冬支度を整える季節の支度
この頃、人々の暮らしも冬への備えが本格化します。
庭木に藁を巻いたり、鉢植えを室内に取り込んだり、北風に備えて障子や襖を張り替える家も多いでしょう。田畑では収穫を終えたあとの土をならし、来春に備える作業が進みます。
かつての農家では、農閑期を迎える前のこの時期、味噌や漬物、干し柿など保存食づくりが始まりました。冷たい風が吹くほどに発酵や乾燥が進み、冬を乗り越える知恵が生きていました。
また、冬至に向けて日が短くなるため、夜が早く訪れます。
灯りの温かさが恋しくなり、囲炉裏やストーブの火を囲んで語り合う時間が増えるのもこの頃です。
🍂 旬 ― 晩秋の味覚と冬の入口の恵み
虹が見えなくなる頃、自然の恵みも秋から冬へと移ろっていきます。
柿やりんごは最後の旬を迎え、みかんやゆずが店先を彩ります。大根、白菜、ねぎといった冬野菜が本格的に出回り、鍋料理や煮込みが食卓に並ぶようになります。
山の幸では、しめじや椎茸などのきのこ類が香りを残し、里では新米のもち米を使った「おこわ」や「餅つき」の準備も始まります。
海の幸では、ぶりやたらが脂をのせ、寒さとともに旨味を増していく季節です。
「虹が見えない空の下でも、食卓は豊かに色づく」――そんな静かな幸福を感じる頃といえるでしょう。


📚 文化 ― 消えゆく虹に込められた祈りと象徴
虹は古来より「天と地をつなぐ橋」とされ、神の使い、あるいは再生の象徴と考えられてきました。
その虹が「蔵れて見えず」となるこの時期は、自然界が静寂と沈黙の季節へと入る象徴でもあります。
和歌や俳句では、「虹の消ゆる」「色なき空」といった表現が、冬の訪れを告げる情景として多く詠まれています。
芭蕉の弟子・各務支考は「虹隠る空のさびしさ冬のはじまり」と詠み、色彩を失う空の中に、深い静けさと人の心の余韻を映しました。
派手さを失った自然にこそ、静かな美しさを見出す――それが日本の冬の感性なのかもしれません。
📅 暦 ― 太陽黄経240度、冬が確実に近づく
小雪は太陽黄経240度に達する頃(11月22日ごろ)に訪れます。
寒さはまだ本格的ではないものの、「雪の気配」が漂い始める時期。北国からは初雪の知らせ、関東では木枯らしが吹き、京都では時雨が街並みを染めます。
この初候「虹蔵不見」は、晩秋と初冬を分ける象徴的な季節の節目です。
目に見えるものの鮮やかさが薄れ、かわりに空気の冷たさや光の角度で季節を感じる――まさに「五感で味わう冬の入口」といえます。
💭 ひとこと ― 静けさの中に光を探す季節
虹が見えなくなることを「終わり」と捉えるか、「静けさの始まり」と感じるか。
自然の移ろいの中で、冬は決して暗い季節ではなく、光を内にたたえる時期でもあります。
澄んだ空に月が昇り、夜空の星がくっきりと見える――それもまた、冬の美しさのひとつです。
彩りが薄れ、音が減っていく世界の中に、確かな生命の息づかいを感じ取る。
それが、「虹蔵不見」の頃の静かな魅力なのです。
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