霎時施(こさめときどきふる)小雨がしとしと降る
目次
🌦 自然 ― 時雨が訪れるころ
霜降の次候は「霎時施(こさめときどきふる)」。読みは「こさめときどきふる」。
この候は、晩秋の空から降りそそぐ静かな雨――すなわち「時雨(しぐれ)」の始まりを意味します。
太陽黄経はおよそ215度、暦の上では10月28日から11月1日ごろにあたります。
時雨は、長雨でも豪雨でもなく、ほんの短い間にさらりと降ってはやむ、秋から冬への移ろいを告げる雨です。
その降り方は実に繊細で、時に細かな霧雨のように、また時に風に乗って斜めに落ち、地面を濡らします。
空は高く、薄い雲が流れ、やがてその合間から光がこぼれる。そんな繊細な天候が続くころです。
京都などでは古くから「時雨月(しぐれづき)」という言葉があり、秋の終わりの風物として文学や絵画にも多く登場します。
この時期の空模様は一日のうちでもめまぐるしく変化し、晴れ、曇り、小雨が入り交じる。まさに「霎時施」の名にふさわしい情景です。
【霜降】(そうこう) 月: 九月中 太陽黄経:210°
霜が降りるころ

次候 霎時施
(こさめときどきふる)
小雨がしとしと降る
🏡 暮らし ― 冬支度とともに
朝晩の気温が一気に下がり、暖房器具や厚手の衣類の出番が増える時期。
庭の草木には露や霜がつき、軒下の干し柿がゆっくりと色づき始めます。
秋の収穫を終えた田畑では、藁を束ねて納屋に運ぶ姿や、囲炉裏の準備に勤しむ人々の姿も見られます。
この時期は「冬支度の始まり」とも言われ、農村では農機具の手入れや来春に向けた準備が進みます。
衣替えをすませた家の中では、火鉢やこたつを出す家庭も増え、少しずつ「冬のぬくもり」が戻ってきます。
また、古来よりこの時期には「お十夜(じゅうや)」の法要が営まれました。
旧暦の十月五日から十五日までの期間、寺院では念仏を唱え、極楽往生を願う法要が行われます。
秋の収穫を終えた安堵の中、人々は来る冬への備えと心の安らぎを祈ったのでしょう。
🍁 旬 ― 晩秋の味覚とぬくもりの食卓
市場には、秋の名残と冬の走りが同居する季節。
柿は甘柿・渋柿ともに熟し、干し柿作りが最盛期を迎えます。
りんごは「ふじ」や「王林」といった晩生種が出始め、蜜が入りはじめるころ。
みかんも極早生から早生へと移り、少しずつ冬の果実へと移行します。
野菜では大根や白菜、春菊、ほうれん草など、鍋料理にぴったりの冬野菜が旬。
また、きのこ類――しいたけ、まいたけ、しめじ――が香り高く、秋の香を食卓に届けてくれます。
魚介では、秋鮭、ブリ、カレイが脂をのせ、カニや牡蠣も出始めます。
冷たい雨が降るこの季節、湯気の立つ鍋や煮物は何よりのごちそうです。
時雨の合間に香る焙じ茶や焼き芋の匂いも、晩秋の風物詩。
雨音を聞きながら温かい茶碗を手にする時間に、心の安らぎを感じます。


📖 文化 ― 時雨に詠まれた日本の心
「時雨」は古くから和歌や俳句の題材として愛されてきました。
たとえば松尾芭蕉の句――
> 「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」
この一句には、寒さに備える猿の姿を通して、季節の移ろいと自然への共感が描かれています。
また、『新古今和歌集』には「時雨の雨に袖しほたれて」といった哀調を帯びた表現も見られます。
時雨は単なる雨ではなく、人生のはかなさや別れの象徴としても詠まれてきました。
晩秋の不安定な空と同じように、人の心も揺れやすく、感傷的になる時期なのかもしれません。
京都嵯峨野や奈良吉野では、紅葉が雨に濡れて一層鮮やかに映えます。
古来より、雨に濡れた紅葉を「濡紅葉(ぬれもみじ)」と呼び、その艶やかさを愛でました。
時雨がもたらす湿り気は、単なる冷たさではなく、自然と人との心を結ぶ潤いでもあります。
🗓 暦 ― 霜降から立冬へ
霎時施の時期は、霜降の真ん中に位置し、次の節気「立冬(りっとう)」まであとわずか。
太陽の通り道(黄道)はさらに南へ傾き、日没の時刻も早まっていきます。
冷たい北風が吹き始め、空気が澄みわたる中、山々は紅葉の最盛期を迎えます。
やがてこの色彩も冬の寒気とともに褪せていき、季節は静かに冬の入口へと歩みを進めます。
時雨が雪へと変わるのも、もうすぐです。
自然のリズムが確実に冬支度を始めているのを感じる――それが「霎時施」の候なのです。
💬 ひとこと
「霎時施」は、移ろう季節の呼吸がもっとも繊細に感じられるころ。
空の色、風の匂い、雨の音――そのすべてが秋の終わりを静かに告げています。
時雨に濡れた木々の葉が深紅を増し、夜明けの空がどこか寂しげに見える。
自然の一瞬の美を、心で感じ取る感性こそ、古来より日本人が大切にしてきた季節の詩情です。
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