春分・次候は、七十二候で
「桜始開(さくら はじめて ひらく)」 といいます。
桜が咲き始めるころ――。
日本の春を代表する花が、
ついに七十二候の中に登場します。
ただし、この候が指しているのは、
満開の桜ではありません。
始開。
“咲き始める”のです。
いちばん静かで、いちばん決定的な瞬間。
春が「春になってしまう」境目の言葉です。
目次
■ 桜は、満開ではなく「開き始め」がいちばん季節を変える
桜の見頃というと、どうしても満開が注目されます。
でも季節の切り替わりを作るのは、満開よりも――
最初の一輪です。
あの枝先に小さく花がほどけた瞬間、
空気が変わります。
- まだ寒いのに
- まだコートが必要なのに
- まだ冬の名残があるのに
桜が咲いた途端、
世界は「春」として扱われてしまう。
桜始開は、その“不可逆な感じ”を表した候だと思います。
■ 春分の真ん中に置かれた「桜」
春分は、昼と夜がほぼ等しくなる節目です。
暦の上では、
春という季節が中盤へ入る場所でもあります。
その位置に桜が来る。
これはつまり、
桜が「春の入口」なのではなく、
春を完成させる合図として扱われているということです。
立春は、春の開始。
啓蟄は、春の始動。
そして春分で、桜が咲き始める。
春が“概念”から“現実”へ切り替わる場所に、
桜が置かれている。
七十二候の構成って、やっぱり見事です。
■ 「始開」には、期待が入っている
咲く、ではなく。
咲き乱れる、でもなく。
始開。
この言葉には、時間が入っています。
咲き始めたなら、
これから続く。
一輪なら、
明日は二輪。
二輪なら、
いずれ枝が埋まり、街が変わる。
桜始開は、桜を見た瞬間に生まれる
未来への確信をそのまま暦語にしています。
■ 桜は「始まり」と「終わり」を同時に運ぶ
桜が特別なのは、
春の象徴であると同時に、
どこかで「終わり」も運んでくるからです。
咲いた瞬間から、散り始める準備が進む。
満開の美しさに、すでに別れが混じっている。
だから桜は、
- 春の始まり
- 新しい季節の始まり
- 新しい生活の始まり
- そして、何かが終わった証
その全部を引き受けてしまう花になったのだと思います。
桜の下で人が集まるのも、
たぶん「花を見る」だけではない。
一年がここで切り替わる
という感覚があるからでしょう。
■ 今の暮らしで「桜始開」を感じる瞬間
現代の私たちは、桜の開花を
- ニュースで知る
- 予報で知る
- SNSで知る
そんな時代に生きています。
でも本当は、
桜は情報ではなく「体感」で来ます。
- 朝の通勤路で見つける一輪
- いつもの公園が少し色づいた瞬間
- 風の匂いが変わっていたことに気づく
そういう小さな場面で、
春は決定されます。
桜始開は、
その小さな決定を見逃さないための言葉です。
■ 春は、桜で確定する
雀が巣を作り始めた春分・初候は、
春が「生活」に入った合図でした。
そして次候。
桜が咲き始める。
これは、春が「景色」になった合図です。
桜は、春が目に見える季節であることを証明します。
桜始開。
桜が咲き始めるころ。
春はここで、
もう引き返せないほど本物になります。

