春分・初候は、七十二候で
「雀始巣(すずめ はじめて すくう)」 といいます。
文字どおり、
雀が巣を作り始めるころ――。
春分は「昼と夜がほぼ等しくなる日」。
暦の上でも、季節の節目として強い意味を持つ時期です。
その節目に置かれたのが「雀」。
桜でも、菜の花でもなく。
春分の最初の候に、暦は “暮らしの始まり” を置きました。
目次
■ 春分の春は「光」ではなく「生活」へ移る
立春の東風は、春の気配。
啓蟄の虫は、春の始動。
桃や蝶は、春の色と変身。
それらを経て、春分に入ると――
季節はさらに一段深くなります。
春は「感じるもの」から、
**「営まれるもの」**へ。
生き物が、春を暮らしとして使い始める。
雀始巣という言葉には、
春のこうした段階が刻まれています。
■ 「巣づくり」が示す季節の確定
巣づくりは、単なる行動ではありません。
巣を作るということは、
- その場所で生きると決める
- 次の命を育てる準備に入る
- 季節がもう戻らないと知っている
ということです。
つまり雀は、
春を信じたのです。
まだ寒の戻りもある。
風も冷たい日がある。
それでも雀は巣を作り始める。
春分の頃には、
それができるだけの「確かさ」が、
もう世界の側に用意されているのでしょう。
■ 雀は「春の指標」だった
雀は日本人にとって、とても身近な鳥です。
古い時代の暮らしでは特にそうで、
雀はただの鳥ではなく、
**季節を測るための“動く暦”**でもありました。
- 田畑の周りにいる
- 人里に必ずいる
- 鳴き声がよく通る
- 行動が目に入る
季節の変化を、
空や山ではなく「日々の生活圏」で感じるとき、
雀ほど分かりやすい存在はありません。
■ 春分のころの雀は、忙しい
春の雀は、落ち着きがありません。
飛び回り、草をくわえ、
枝のすき間に出入りする。
人間から見ると、
「何を急いでいるの?」と思うほどです。
けれどそれは、
春に追い立てられているのではなく、
春を受け入れている姿だと思います。
巣づくりとは、
春を暮らしにする作業です。
■ 「春が来た」ではなく「春を始める」
雀始巣の良いところは、
春を受動的に捉えていないところです。
春が来たから、雀が巣を作る。
――確かにそうなのですが、もう一歩踏み込むと、
雀が巣を作り始めることで、
春が「現実」になります。
春は、ただ訪れるのではなく、
生き物が行動することで確定する。
雀始巣は、そんな候です。
■ 今の暮らしで「雀始巣」を感じるなら
都市部だと、雀は減ったと言われますが、
それでも注意していると、春分の頃に気づけます。
- 雀の声が増える
- 動きが機敏になる
- 2羽の距離が近い(つがいらしく見える)
- 草をくわえている姿に出会う
春の実感は、気温だけでは来ません。
生活の気配が増えると、
春は急に「本物」になります。
雀始巣は、まさにその瞬間の言葉です。
■ 春は、暮らしの音から始まる
立春は風。
啓蟄は土と虫。
そして春分は――雀。
春は、観念ではなく暮らしの中にある。
暦は、そういう順番で春を描きます。
雀始巣。
雀が巣を作り始めるころ。
春はもう、
ただ美しい季節ではなく、
命が生活を始める季節になっています。

