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鶏|鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)|大寒・末候

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— 冬の極みに訪れる、生命のリズムの再始動 —

1.冬の底で始まる「命のリズム」

七十二候「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」は、
大寒・末候に訪れる季節の変化をあらわす言葉です。

「乳(にゅう)」は“卵を産む”の意味。
一年で最も寒い時期に、鶏が産卵を再開し始める──
それは、厳冬の底に光が差し込み始める象徴とも言えます。

自然界では、冬至を過ぎて少しずつ日が長くなると、
生き物たちの体内時計が敏感に反応します。
鶏も例外ではなく、「光の増加」を合図に産卵が回復し始めるのです。

古人はその兆しを見逃さず、
季節の折り返しを知る“吉兆”としてとらえました。


2.鶏と暮らし──日本の農村文化と卵

古くから鶏は身近な家畜であり、
冬の産卵再開は生活リズムの回復も意味していました。

● 卵は「春の食べ物」だった

現代のように年中安定して産卵する鶏ではなかったため、
冬は卵が極端に少ない季節でした。

だからこそ、
大寒のころに産卵が戻ってくることは人々にとって嬉しい知らせ。
早春のエネルギーを先取りするような存在でもありました。

● 卵と信仰

卵は古来、再生・復活の象徴。
神饌(しんせん)として供えられたり、
節目の行事食として扱われたりしました。

鶏の産卵は、
季節が確かに次へ向かうことを知らせる自然暦のサインでした。


3.中国七十二候との違いと、日本での定着

「鶏始乳」は中国の七十二候にも見られる候ですが、
日本の気候・生活様式にもよく合うため、そのまま受け継がれました。

中国北部では日照時間の変化と気温の底が一致し、
農家は産卵の回復を“年のめぐり”として意識していました。

日本でも、
「日が長くなる → 鶏が卵を産む → 春が近い」
という連鎖は農村文化に深く浸透しており、
候の季節感が自然に共有されてきました。


4.現代の視点──人工照明と季節感のズレ

現代の養鶏では人工照明によって日照時間が管理され、
季節に左右されず産卵が続きます。

しかし、自然の鶏(庭鶏・地鶏など)は今もなお、
冬に産卵数が減り、大寒のころから回復してくるという
本来のリズムを保っています。

人工環境では見えにくくなった
「生きものの季節性」を意識させてくれる候です。


5.季節の実感としての「鶏始乳」

大寒の寒さが極まる時期に、
鶏の産卵再開という小さな兆しが現れる──
それは、春のはじまりの最初の一歩。

冬と春のあわいにある、静かな生命の息吹を感じる候です。


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