❄ 大雪・末候
目次
鱖魚群 (さけうおむらがる)|冬の川を遡る、鮭の生命の記憶
大雪の末候「鱖魚群 (さけうおむらがる)」は、
鮭が群れをなして生まれた川へと戻り、
流れに逆らいながら遡上する季節を表す言葉です。
冬の深まりとともに、海から川へと向かう銀色の群れは、
古くから人々に強い印象を残してきました。
雪の降る川を力強くさかのぼる鮭の姿は、
冬の自然が見せるもっとも劇的で美しい瞬間の一つです。
鮭の遡上は単なる動物の習性にとどまらず、
海と山、生命と再生、人の暮らしと自然が結びつく物語そのもの。
冬の七十二候の“締め”にふさわしい、
深い文化と象徴性を宿した現象です。
■ 中国の文献に記された「鱖魚群 」
鮭の遡上が季節の候として記録されたのは、
七十二候が成立した中国でも同じです。
黄河流域や東北地方では、
秋から冬にかけて河川に鮭が回帰し、
その姿が“冬の近づき”を象徴するものとして扱われました。
古代中国の文献には、
「鮭はその生まれた川へ戻り、上流へと向かう」と記され、
その行動は“自然の暦”として観察されていました。
鮭の群れは、大寒の前に川へ向かうため、
大雪の末候に置かれたと考えられています。
この読み取りは後に日本へ渡り、
鮭が重要な食料であり、
また信仰や文化と深く関わる日本では、
さらに強い意味を持つ候として定着しました。
■ 日本文化における鮭 ― “帰る魚”の特別な位置
日本では古くから鮭が
「山の神からの贈り物」
「海と山をつなぐ魚」
とされてきました。
特に北海道・東北・北陸の川沿いでは、
鮭は毎年必ず帰ってくる“季節の使者”として重んじられ、
暮らしに欠かせない存在でした。
● アイヌ文化では「カムイチェプ」
アイヌ語で鮭は「カムイチェプ(神の魚)」と呼ばれ、
神聖な儀礼と深く結びついています。
鮭は海で育ち、再び川に戻る。
これは神がその肉を与え、
再び海へ帰って命を循環させるという
神話的な世界観と響き合います。
● 年取り魚としての伝統
日本海側の地域では、
鮭は「年取り魚」として大晦日に食べられることが多く、
冬の食文化の中心に位置づけられています。
雪深い地域にとって、
鮭は冬の貴重なタンパク源であり、
味噌漬け・塩引き・寒風干しなど、
冬の保存食文化を支える食材でした。
■ 鮭の生態がもつ“帰る力”
鮭は生まれた川の匂いを記憶し、
数年の海の旅を経て
再びその川へ戻るとされています。
これは「母川回帰性」と呼ばれ、
鮭の生態の中でも特に象徴的な能力です。
海から川へ遡る旅は、
上流に近づくほど水温は低く、
流れは強くなります。
しかし鮭は、
自らの生命の終わりを悟りながらも、
力を振り絞って遡上し、
生まれ故郷の川底で産卵を果たします。
その姿は古来、
人々に「帰るべき場所」「命のめぐり」の象徴として
深い感銘を与えてきました。
冬の寒さの中で銀色に輝く鮭の群れが川をさかのぼる光景は、
生命の最も根源的な美しさを映すものです。
■ 冬の川が持つ静けさと力強さ
大雪のころ、河川の周囲は雪に包まれ、
空気は冷え、風は澄み渡ります。
その静かな景色の中を進む鮭は、
冬の自然が持つ厳しさと神秘性を象徴しています。
冬の川は一見静かですが、
その流れは強く、
鮭が遡上するには過酷な条件が揃っています。
それでも鮭は進み続ける。
その姿が、人々に“冬の物語”を強く感じさせるのです。
■ 終わりと始まり ― 鮭が教える季節の循環
鮭の遡上は、生命の“終わり”の旅でありながら、
次の生命の“始まり”の旅でもあります。
自らの体を使い果たし、
産卵を終えた鮭は川の流れに帰りますが、
その後、春になれば数多くの稚魚が川底から姿を現し、
再び海へと旅立ちます。
冬の底にある“静かな希望”――
それが鮭魚群という候に込められた
もっとも大きな意味です。
自然の中で命が受け継がれていくこと、
海と山がつながり、
季節が巡り続けること。
鮭の遡上は、そのすべてを教えてくれる
冬の象徴的な風景です。

