穀雨・末候は、七十二候で
「牡丹華(ぼたん はな さく)」 といいます。
牡丹が咲くころ。
これまでの穀雨は、
- 雨が増える
- 土が潤う
- 苗が育つ
という「育つ季節」でした。
その締めくくりに現れるのが牡丹。
春が、静かな成長から
圧倒的な“華”へ到達する候です。
目次
■ 牡丹華──穀雨の終わりは、花の王で締める
牡丹は「百花の王」と呼ばれます。
百花繚乱の春の中でも、
牡丹はひときわ“重い”。
花が大きい。
存在感がある。
匂いも、色も、陰影も濃い。
桜は「春の入口の喜び」でしたが、
牡丹は「春の成熟」です。
穀雨の末に牡丹が置かれているのは、
暦として非常に美しい配置だと思います。
■ 桜と牡丹の違い──軽さと重さ
桜が散ると、私たちは少し寂しくなります。
でも牡丹の季節は、寂しさではなく、
どこか“豪奢さ”が前面に出る。
- 桜=はかなさ
- 牡丹=厚み、重み、満ちる感じ
春はずっと「淡い」だけではありません。
終盤には
花が深くなる
という変化がある。
牡丹華は、その瞬間を切り取った候です。
■ 牡丹の咲く空気は「もう初夏の入口」
牡丹は、春の花でありながら、
空気としては初夏に近いところで咲きます。
穀雨のころは
- 雨が増える
- 湿り気が増える
- 気温が上がる
そして植物が一気に濃くなる季節です。
牡丹が咲くころには、
緑も、光も、すでに“夏の成分”を含んでいる。
つまり牡丹華は
春の終わりの華やかさであると同時に、
初夏へ渡るための橋でもあります。
■ 「華(はな)」という字を選んだ理由
七十二候には「花咲く」表現がいくつかありますが、
牡丹華は「花」ではなく**「華」**です。
ここがいい。
華は、
- 目立つ
- 栄える
- 盛大である
- 豪華である
という意味を含みます。
牡丹は確かに「華」です。
咲いた瞬間に、周囲の景色を支配する。
咲いているだけで
そこに「舞台」ができる。
暦の言葉として「牡丹華」は、
牡丹の性格をかなり正確に掴んでいます。
■ 牡丹は、雨に似合う花でもある
牡丹は、晴天よりも、
少し湿り気のある天気のほうが似合う気がします。
穀雨は雨の節気。
その末候に牡丹。
雨のあと、空が明るくなって、
濡れた葉の上に重たい花が乗っている。
牡丹は、そういう光景が美しい。
春の終わりの湿った空気――
そこに牡丹が咲くと、季節の完成度が上がります。
■ 今の暮らしで牡丹華を感じる瞬間
牡丹は野に普通に咲く花ではありません。
でも逆に言えば、
見に行けば確実に“季節”を浴びられる花でもあります。
- 寺の庭
- 神社
- 牡丹園
- 公園の花壇
そういう場所で牡丹を見ると、
春の終わりの質感がはっきりわかります。
「もう春は、ここまで来たな」と。
牡丹華は、
季節に対する“確認印”みたいな候です。
■ 牡丹華──春は、ここで満ちて終わる
穀雨は「育つ」節気でした。
水が動き、土が整い、苗が育つ。
暮らしも自然も、加速していく。
その最後に、牡丹が咲く。
牡丹華。
春が、満ちきって終わるころ。
ここから先は、
花の季節というよりも、緑の季節。
そして次は、立夏です。

