穀雨・次候は、七十二候で
「霜止出苗(しも やみて なえ いづる)」 といいます。
霜が止み、苗が出る。
この候は、言葉の意味がとてもはっきりしています。
春が「きれい」から、
春が「育つ」へ。
暦が完全に、暮らし側へ寄ってきます。
目次
■ 穀雨の核心は「育てられる季節」になること
穀雨とは「穀物を潤す雨」。
つまり春の雨が、
やっと“恵み”として働き始める節気です。
しかし――
雨だけでは農は始まりません。
春は、まだ怖い季節でもあります。
- 朝冷える
- 霜が降りる
- 一晩で芽がやられる
この「不安定さ」が消えて初めて、
人は本気で育て始められる。
その境目が、霜止出苗です。
■ 霜はなぜ重要なのか──育つ前に枯らすもの
霜は“冷たい空気”が目に見える形になったものです。
夜の間に地表が冷え、
空気中の水分が凍って付着する。
植物にとって霜は、想像以上に厳しい。
- 葉が傷む
- 芽が枯れる
- 生育が止まる
- 最悪の場合、全滅する
つまり霜は、
「春が来た」と思って油断した者を刺す
そんな性格の現象です。
だから昔の農の世界では、霜が止むかどうかは
季節の安全確認そのものだったはずです。
■ 「霜が止む」とは、季節が“安定する”こと
霜止出苗は、単に霜が降りない日がある、という意味ではありません。
「もう霜の季節ではない」
と判断できるほど、春が安定した。
そのことを示しています。
春分のころは、まだ揺れている。
清明のころは、空が整う。
穀雨では、地面が整う。
そして、霜が止むことで――
春が、危険な季節から、育てる季節へ切り替わる。
暦は、この変化を非常に重要なものとして刻んでいます。
■ 苗(なえ)という言葉の温度
苗という言葉には、希望が入っています。
芽ではなく、苗。
芽は自然に出るものですが、
苗は「育てる」ものです。
- 種を蒔いて
- 水をやって
- 世話をして
- いずれ植え替える
苗には、人の手が入っています。
霜止出苗という候はつまり、
人の側が“育て始められる状態になった”
という意味でもあります。
自然の春だけではない。
暮らしの春が始まった。
その象徴が苗です。
■ 苗が育つ=田の季節が動き出す
穀雨の時期は、田の暦が本格化します。
- 苗代の準備
- 田起こし
- 代かき
- 用水の整備
苗が育つということは、
この一連の仕事が“始まってしまう”ということ。
だから霜止出苗は、どこか決意の候です。
この時期から先は、
自然が放っておいてくれない。
春の景色を眺めるだけではなく、
季節に追われて暮らしが動く。
穀雨の暦は、その現実を静かに告げています。
■ 今の暮らしで「霜止出苗」を感じるとしたら
現代では、農をしていない人にとって
霜はあまり話題になりません。
でも、霜止出苗の感覚は意外と残っています。
- 早朝の空気に刺すような冷たさが消える
- 布団から出るのが“つらい”から“普通”になる
- 朝の窓ガラスが白くならない
- 手袋を忘れても大丈夫になる
そして植物が一気に動きます。
庭木、街路樹、雑草、家庭菜園――
「昨日まで静かだったもの」が、急に伸びる。
春は、ここで爆発するんですよね。
■ 霜止出苗──春が「危うさ」を脱ぎ捨てる
春は美しい季節ですが、
ずっと不安定でもあります。
寒の戻り。
朝の霜。
花冷え。
その危うさが、穀雨の後半で抜けていく。
霜止出苗とは、
春が“安全な季節”になった合図です。
霜が止み、苗が育つころ。
ここから先は、
春はためらわずに進んでいきます。

