清明・末候は、七十二候で
「虹始見(にじ はじめて あらわる)」 といいます。
虹が、はじめて現れるころ。
この「はじめて」がいい。
虹は一年中見えるものではありません。
空に条件が揃ったときだけ、短い時間だけ現れます。
そして昔の人は、
その短い奇跡を「暦」に入れてしまった。
虹始見は、
春の光が、世界の表情を変え始める候です。
目次
■ 虹は、春にならないと「見えにくい」
虹が出るには条件が必要です。
- 雨(水滴)が空中にある
- 太陽光が差し込む
- 太陽の位置が低い
- 見る側の角度が合う
つまり虹は、雨と光の重なりで生まれます。
冬は雨が少なく、空気も乾きやすい。
雪や曇りの日も多く、光が弱い。
だから虹は、冬にはなかなか現れません。
春になると、
- 気温が上がって水分が増え
- 雨が降り
- その後に光が戻る
そんな日が増えます。
虹始見は、
その「春の天気の質感」が変わったことを示す候なのです。
■ 「清明」という節気と虹は相性がいい
清明は、空が澄み、光が明るい節気です。
空が澄むということは、
- ものの輪郭がはっきりする
- 遠くまで見通せる
- 光が透明に見える
ということ。
その透明な光が、水滴にぶつかって生まれるのが虹。
つまり虹は、
清明という節気の“完成形”みたいな現象です。
春の空が清く明るいからこそ、
虹が「見える」。
だから清明の末候に虹が置かれているのは、
かなり納得感があります。
■ 虹は「春が進んだ」証拠
雁が去り、ツバメが来て、
空は春のものになりました。
その春の空に、虹が出る。
虹は、季節が進んだサインです。
ただ暖かいだけでは虹は出ません。
雨が降って、光が差して、
大気が柔らかく動く。
虹が出るということは、
春が“気象として”動き始めている証拠です。
■ 虹が現れると、空が物語になる
虹は不思議です。
見えた瞬間、
誰もが空を見上げます。
- 「あ、虹だ」
- 「すごい」
- 「写真撮ろう」
- 「消える前に…」
虹はただの光学現象なのに、
一瞬で世界が物語になります。
昔の人も同じだったはずです。
だからこそ「虹」を暦に刻んだ。
虹は季節の中でも、
感情を直接動かす自然現象です。
■ 昔の人にとっての虹──吉兆?それとも不吉?
虹は今では「きれい」「幸運」の象徴ですが、
昔の捉え方は一様ではありません。
地域や時代によっては、
- 天と地を結ぶもの
- 神のしるし
- 天候の転換点
- ときに不吉な兆し
のように、畏れや意味付けが強かったこともあります。
ただ、七十二候の中で虹は
不吉としてではなく、季節現象として置かれています。
虹始見は、
“春の光景としての虹”を選び取った言葉です。
■ 「はじめて」見える虹──春の入口ではなく、春の確定
この候が素敵なのは、
春の入口に虹を置いていないことです。
虹は、春の始まりではなく、
春が整った頃に現れる。
清明の末候。
春はもう中盤です。
だから虹は、
「春が来た」の証拠ではなく、
「春がここまで来た」の証拠。
春の深まりが、
空に一瞬だけ可視化されたもの。
それが虹です。
■ 虹始見──春の空が“完成”する
清明の最後に、虹。
鳥が入れ替わり、
空気が澄み、
光が強くなり、
雨が通り、
そこに虹が立つ。
清明という節気の締めくくりにふさわしい候です。
虹始見。
虹がはじめて現れるころ。
春はここで、
「光の季節」として確定します。

