霞始靆(かすみ はじめて たなびく)。
雨水・次候を表す七十二候です。
雨水の初候では、土が潤い、足元から春が始まりました。
そして次候は、空です。
霞。
春が来たと感じる瞬間は、
花でも芽吹きでもなく――
景色の輪郭がほどけたとき、かもしれません。
遠くの山が薄くなる。
空と地平の境目が、どこか曖昧になる。
光がやわらかく、白く滲む。
ああ、春だ。
霞始靆という候は、その一瞬を取り出しています。
目次
■ 「霞(かすみ)」とは何か
霞とは、簡単に言えば
空気の中の細かな水分やちりが光を散らし、遠景が白くぼやけて見える現象
です。
冬の空気は、冷たく乾いていて、透明です。
だから景色が“くっきり”見える。
ところが春になってくると、
- 気温が上がる
- 地面の水分が蒸発する
- 空気が湿る
- 空気が混ざり合う(大気が不安定になる)
こうして空気は透明ではなくなっていきます。
その「透明ではなくなった空気」が、霞です。
春は、空気そのものの質が変わる季節。
霞は、その変化を目に見える形にしたものだと言えます。
■ 霧・靄(もや)との違いは?
ここ、気になりますよね。
厳密に境界線を引くのは難しいのですが、
感覚的に整理するとわかりやすいです。
- 霧(きり):地面近くで水滴が濃く、近くも見えない(視界が白く閉ざされる)
- 靄(もや):霞より濃いが、霧ほどではない(街や遠景がにじむ)
- 霞(かすみ):春の遠景が“ふんわり”ぼやける(輪郭がほどける)
そしてもうひとつ大きな違いがあって――
霞は「季語」になっているんです。
つまり霞は、単なる気象現象ではなく、
春の気配そのものとして受け止められてきた言葉なのです。
■ 「たなびく」とは何か
霞始靆のポイントは「始」よりも、実は「靆」です。
靆(たなびく)は、雲や煙が横に長くのびるように漂うこと。
霞は、そこに“層”を作ります。
山の中腹に一筋。
川沿いに薄い帯。
夕方、町の向こうに白い膜。
春の霞は、立ち上がるのではなく、
横に広がって、景色にかかる。
この「かかる」という感じが、まさに霞の本体です。
■ 霞が出ると、世界はどう見える?
冬の景色は、線でできています。
建物の角。
山の稜線。
木の枝の一本一本。
ところが霞が出ると、
世界は線ではなく、面になります。
輪郭の強さが抜ける。
コントラストが落ちる。
境目が曖昧になる。
それは言い換えれば――
世界がやわらかくなる。
春という季節を「やわらかい」と感じるのは、
この視覚的な変化も大きいのだと思います。
霞は春の温度ではなく、春の“見え方”です。
■ なぜ雨水の頃に「霞」なのか
雨水は、
雪が雨に変わり、
氷が水になる節気です。
つまり、空気中の水分が増え、
地面から蒸気が立ち、
大気が混ざりやすくなるころ。
だから霞が出る。
七十二候は、
この順番がとても正確です。
- 土がゆるむ(初候:土脉潤起)
- 空がゆるむ(次候:霞始靆)
- 植物が動く(末候へ…)
春は、段階を踏んで世界を変えていきます。
■ 現代の暮らしで「霞」を感じる瞬間
霞は、都会でも田舎でも見られます。
- 遠くのビル群が白っぽい
- 高架や橋の向こうが薄い
- 山の輪郭が淡い
- 夕方の光が拡散してまぶしい
こういうとき、
春が来たという情報を、目が先に受け取っています。
気温が低くても、
花が咲いていなくても、
「見え方」が春になる。
霞始靆は、その感覚を暦に固定した言葉です。

