魚上氷(うお こおりを いずる)。
立春・末候を表す七十二候です。
この候の言葉は、少し不思議です。
春の兆し、というと――
私たちはつい「花」や「芽吹き」を思い浮かべます。
ところが七十二候は、ここで魚を持ってきます。
魚。
しかも「魚が現れる」と書いて、
氷の上に出てくる。
もちろん現実に、魚が氷の上を泳ぐわけではありません。
けれどこの言葉が描いているのは、
冬の水辺が“死んだように静まっていた状態”から、
「内部で命が動き始める」瞬間です。
春は、花より先に。
芽より先に。
水の中から始まる。
魚上氷とは、そういう季節の見方を提示している候なのだと思います。
目次
■ 氷が「割れる」のではなく、「ゆるむ」
冬が深まると、水辺は凍ります。
張った氷は、上から見ると一枚の板のようで、
そこに世界が止まっているようにも見えます。
でも実際には、水の下は完全に凍り切るわけではありません。
水は深いところで生きている。
そして命もまた、水の下で続いている。
立春の終わりごろになると、
氷はある日突然割れるのではなく、
じわじわと“ゆるんで”いきます。
氷の縁が薄くなる。
表面がざらつく。
光の反射が変わる。
この「ゆるみ」に最初に反応するのが、
水の中の生き物たちなのです。
■ なぜ「魚」なのか(しかも種類が書かれていない)
七十二候には、鶯や梅のように、
具体的な存在がはっきり描かれるものもあります。
しかし魚上氷は、種類を書いていません。
鮒でも鯉でも、鮭でもない。
ただ「魚」。
ここが、この候の強さでもあります。
魚とは、特定の魚種のことではなく、
「水の中の命」そのものの象徴なのです。
冬の間、地上は静かで、
風も冷たく、木々も沈黙しています。
でも、水の中では違う。
春は、そこから先に始まる。
だからこの候は「魚」でいい。
むしろ「魚」であるべきだったのでしょう。
■ 「氷の上に魚が出る」とはどういうことか
魚が氷の上に出る――
この表現は、観察の言葉というより、
季節感を描く詩のような言い方です。
氷が薄くなり、割れ、
氷の割れ目から魚影が見える。
あるいは、解けた水面が開き、
そこに魚が跳ねる。
そうした瞬間を見たとき、
人は「氷の上に魚が現れた」と感じる。
この候は、
春の訪れを“目に見える変化”としてではなく、
「止まっていたはずの場所に動きが生まれる」
という現象で捉えています。
■ 現代の私たちにも、これはよく分かる
この感覚は、現代でも体験できます。
冬の終わり、
水たまりや川を眺めているときに――
・氷の縁が解けているのに気づく
・水の色が少し明るく見える
・小さな波が立つ
・水鳥が増える
そんな変化が、いきなり訪れます。
花が咲くよりずっと前です。
暖かくなったと言えるほどでもない。
けれど水だけが先に動く。
魚上氷は、
「春の初動は、水が担う」
という季節観を伝えています。
■ 立春の最後に置かれた意味
立春・末候。
つまり、春の入口の終わりです。
ここに魚上氷が置かれているのは、
とても象徴的だと思います。
風が変わり(東風解凍)、
声が戻り(黄鶯睍睆)、
そして水の中で命が動く(魚上氷)。
春は、“外側の変化”から、
“内側の動き”へ進む。
これが立春の三候が描いている季節の順序です。

