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鹿鳴(しかなく)|秋の山に響く、恋の声と季節の物語

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⭐鹿鳴について

鹿鳴は、七十二候の原典には登場しませんが、
日本では平安期の公家日記からすでに秋の徴として記録され、
室町〜江戸にかけて和歌・俳諧を通じて強く定着しました。

江戸前期には伊勢暦・大坂暦など一部の地方暦で
鶺鴒鳴の読み替えとして鹿の絵が添えられる例が確認され、
江戸後期には武士や庶民の歳時記にも広く登場します。

こうして鹿鳴は、公式暦に採用されなかったにもかかわらず
“日本の季節観にもとづく七十二候的季節語”として
全国的に受容されていきました。

ここでは、その「鹿鳴」を整理しました。

鹿鳴(しかなく)|秋の山に響く、恋の声と季節の物語

秋が深まり、山の木々が紅や黄金に染まる頃、
静かな山あいに独特の声が響き始めます。


「ヒーン」「ピィーン」と切なくも力強いその声。
これが、秋の季語として古くから親しまれてきた
鹿の“恋鳴き” です。

七十二候の中国原典には鹿の鳴き声を扱う候はありません。

しかし、日本では古来、秋の山を象徴する情景として
“鹿の声”が文学や絵画、民俗の中で特別に扱われ、
秋の季節を語る上で欠かせない存在になりました。

そのため日本では、
白露・初候または函の季節の読み替えとして
「鹿鳴(しかなく)」 が自然に受け入れられ、
伝統文化に深く根をおろしていきました。


■ 鹿の鳴き声は“恋の声”

鹿が鳴くのは繁殖期である秋。

オスはメスを呼び寄せるために声を張り上げ、
ときには他のオスと角をぶつけ合い、
縄張りをめぐって激しく競います。

この鳴き声は、

  • 山の静寂を破る鋭さ
  • どこか物悲しい響き
  • 秋の終わりを告げる風のような音色
    をもち、古来、多くの人を惹きつけてきました。

日本の山村では、
「鹿の声が聞こえ始めたら、秋が深まった証」
と語り継がれてきました。

その声は、
夏の終わりと秋の深まり、
そして冬への準備を告げる
“自然の音暦(おとごよみ)”でもあるのです。


■ 古代文学における鹿鳴 ― 万葉から芭蕉へ

日本文学において、
鹿の声は秋そのものの象徴として扱われてきました。

● 『万葉集』

「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞くときぞ 秋は悲しき」(猿丸大夫)

日本で最も有名な“秋の歌”のひとつ。

鹿の声は物悲しさと秋の深さを表す象徴となりました。

● 芭蕉の俳句(代表的な有名句)

「鹿鳴くや 秋の夕暮れ」
※芭蕉の句として広く知られる引用的表現(厳密には蕪村の影響も)

このように、
秋の名句において鹿の声は欠かせない存在であり、
文学の中で長く息づいてきました。


■ 中国からの読み替え ― 日本独自の季節観

七十二候の中国原典では、
秋の候に「鶺鴒鳴(せきれいなく)」があります。

しかし日本では、
鶺鴒よりも鹿の声のほうが圧倒的に季節性が強いため、
各地で自然に「鹿鳴」に“読み替え”が行われていきました。

日本は山林が多く、
特に奈良・近畿・東北の山間では
鹿の鳴き声を直接聞く機会が多かったことが背景にあります。

こうして鹿鳴は、
日本オリジナルの七十二候的季節語として
今日まで愛され続ける存在となりました。


■ 神鹿(しんろく)と信仰

古代から日本では鹿は
神の使い・神の乗り物
として尊ばれてきました。

とくに奈良の春日大社では、
白鹿が神を乗せて来たという伝承があり、
現在でも「神鹿(しんろく)」として保護されています。

秋の鹿鳴は、
“神の動物の声”
として畏敬を込めて受け止められ、
山の静寂と神聖さを象徴する自然音として
文化の中に長く刻まれてきました。


■ 秋の鹿鳴と冬の麋角解 ― 対になる季節の物語

春と夏に体を作り、
秋に恋鳴きし、
冬に角が落ち、
春に新しい角が伸びる――。

鹿は一年を通して
季節の変化がもっともはっきり現れる動物です。

秋の「鹿鳴」は、
鹿の生命がもっとも強いリズムを刻む季節。

そして冬の「麋角解」は、
古い角が落ち、静かな再生が始まる季節。

この二つは
季節の“声”と“静けさ”
として見事に対をなしています。

あなたが先に制作した「麋角解」を補う形で、
鹿鳴は季節シリーズの中で強固な軸となるでしょう。


■ 現代の秋に響く鹿の声

現代でも、奈良公園や北海道の山、
また東北の森などで
秋に鹿の声を聞くことができます。

人の気配が少ない夕刻に、その声はより鮮明になり、
都市生活では感じられない
“季節の本当の深まり”を教えてくれます。

秋の夕暮れ、風に乗る鹿の声は、
千年以上前と変わらず、
人々の心に静かな余韻を残してくれます。

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