――西洋思想に、日本語が与えた名前
「哲学」という言葉は、
どこか難しく、抽象的な響きを持っています。
しかしこの語もまた、
日本に昔からあった言葉ではありません。
「哲学」は、西洋の philosophy を受け止めるために、
明治初期、日本で生み出された和訳語です。
目次
「philosophy」は、なぜ訳語を必要としたのか
philosophy は、
単なる学問分野の名称ではありません。
それは、
- 世界とは何か
- 人間とは何か
- 知るとはどういうことか
といった問いを、
理性によって考え続ける営みそのものを指します。
この概念は、
従来の日本語には、そのまま当てはまる語がありませんでした。
音写すれば「フィロソフィー」ですが、
それでは思想の内容が伝わらない。
そこで必要になったのが、
意味を持つ翻訳語でした。
「哲学」という語を作った人
「哲学」という訳語を作ったのは、
**西周(にし あまね)**です。
彼は、
- 西洋思想を学び
- それを日本語で説明する必要に迫られ
- 試行錯誤の末に「哲学」という語を選びました。
ここで注目すべきなのは、
既存の漢字を用いながら、まったく新しい概念を表した点です。
「哲」と「学」に込められた意味
「哲学」は、
- 哲:さとい、道理を見抜く
- 学:学ぶ、体系的に考える
という二字から成ります。
これは、philosophy の語源である
「知を愛する(philo-sophia)」
を、直接なぞったものではありません。
むしろ、
深く考え、道理を求める学び
という、日本語として自然な表現を選び取った結果でした。
それ以前、日本には哲学がなかったのか
よくある誤解ですが、
日本に「哲学的思考」がなかったわけではありません。
- 仏教思想
- 儒学
- 神道的世界観
はいずれも、
人間や世界の在り方を深く問い続けてきました。
しかしそれらは、
- 宗教
- 倫理
- 教え
として存在しており、
「理性による批判的思考の学問」
という枠組みでは整理されていませんでした。
「哲学」という語は、
この思考のあり方を一つに束ねるための、
新しい器だったのです。
明治以降、「哲学」は何をもたらしたのか
「哲学」という言葉が定着すると、
- 大学に哲学科が設けられ
- 思想が学問として教えられ
- 西洋思想と東洋思想が同じ土俵で語られる
ようになります。
ここで重要なのは、
哲学が「答え」を与える学問ではなく、
問い続ける姿勢そのものとして理解された点です。
これは、
科学や医学を支える「考え方の基盤」にもなっていきました。
「科学」と「哲学」の違いと関係
ここで、シリーズの流れが収束します。
- 科学:自然をどう理解するか
- 技術:理解をどう使うか
- 医学:人間をどう扱うか
- 哲学:それらをどう考えるか
哲学は、
科学や技術の上位に立つのではなく、
それらを問い直す視点を提供する言葉でした。
おわりに──言葉が、思考の枠組みをつくった
「哲学」という言葉は、
西洋思想をそのまま移したものではありません。
日本語として選ばれ、
意味を与えられ、
使われる中で育ってきた言葉です。
文明開化は、
思想を輸入したのではなく、
思想を考えるための言葉を作った時代でもありました。
