――文明開化は、一つの言葉から始まりました。
私たちは日常的に「科学」という言葉を使っています。
学校教育、研究、技術、ニュース──あまりにも当たり前の言葉です。
しかし、この「科学」という語は、
日本に昔からあった言葉ではありません。
それは、近代に入ってから、
西洋の science という概念を受け止めるために作られた言葉なんです。
目次
「science」は、なぜ訳さなければならなかったのか
江戸後期から明治にかけて、日本は西洋の学問と本格的に向き合うことになります。
医学、天文学、物理学、化学──
そこに共通して現れる言葉が science でした。
しかし science は、
- 単なる「知識」ではない
- 技巧や経験則とも違う
- 学問であり、方法であり、態度でもある
という、非常に広く、曖昧な概念を含んでいます。
音だけを写すなら「サイエンス」でも済みます。
それでも日本は、意味を持つ言葉として訳す道を選びました。
「科」と「学」が選ばれた理由
「科学」という語は、
- 科:分ける、分類する
- 学:学ぶ、体系立てて理解する
という二つの漢字から成り立っています。
ここで重要なのは、
science を「一つの学問」ではなく、
**「分けて、整理し、体系として理解する営み」**として捉えた点です。
自然現象を、
- 観察し
- 分類し
- 共通性を見出し
- 法則としてまとめる
この一連の態度を表す言葉として、
「科学」は極めて的確でした。
それ以前、日本には「科学」がなかったのか
誤解されがちですが、
日本に自然観や技術がなかったわけではありません。
- 天文
- 医学
- 本草学
- 暦
- 工芸
いずれも高度に発達していました。
しかしそれらは、
- 個別の技芸
- 経験に基づく知
- 古典に依拠した学
として存在しており、
自然全体を一つの方法で理解する枠組みは、
まだ言葉として整理されていませんでした。
「科学」という語は、
この散在していた知を、一つの視点で束ねる役割を担ったのです。
「科学」は、思想でもあった
重要なのは、「科学」が単なる学問名ではなかった点です。
それは、
- 見て確かめる
- 比べて考える
- 権威より事実を重んじる
という、世界への向き合い方そのものを含んでいました。
これは、
ターヘル・アナトミアがもたらした態度と、
はっきりと地続きです。
言葉が先にあり、
その言葉が、思考の枠組みを形づくっていきました。
「科学」が定着したとき、何が変わったのか
「科学」という語が定着すると、
- 学校教育に「理科」が生まれ
- 学問が分野ごとに整理され
- 研究という営みが制度化されていきます
自然は、
信仰や権威の対象から、
理解し、説明し、再現できるものとして捉え直されました。
これは、文明開化における
最も根本的な転換点の一つです。
なぜ「技術」ではなく「科学」だったのか
文明開化を語るとき、
鉄道や機械といった「技術」が注目されがちです。
しかし技術は、
科学という考え方を前提に発展します。
- 技術は成果
- 科学は方法
日本はまず、
考え方そのものに名前を与えた。
この順序こそが、
「科学」という語を第1号に据える理由です。
おわりに──言葉が、文明の扉を開いた
「科学」という言葉は、
西洋文明をそのまま写したものではありません。
日本語として考え抜かれ、
意味を与えられ、
社会の中で使われることで、
初めて生きた言葉になりました。
やがてこの言葉を起点として、
- 技術
- 医学
- 哲学
- 社会
- 経済
といった、
多くの和訳語が生まれていくことになります。
文明開化は、
制度や建物より先に、
一つの言葉から始まったのかもしれません。
