中国年号と六十干支の照合|古代の年代はどう結びつくのか

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ここまで、景初二年。景初三年。己未。辛亥。

といった、さまざまな年の表し方が登場しました。

現代の私たちは、238年、239年、471年、

と西暦で並べれば、時間の前後関係を簡単に理解できます。

しかし古代の史料に、西暦は書かれていません。

中国の史書には中国王朝の年号。

日本側の史料には天皇の在位年。

さらに双方に六十干支が現れます。

では、これらをどう結びつけるのでしょうか。

中国年号は「王朝の時間」

中国では、皇帝が定めた年号によって年を表しました。

たとえば魏の、景初。

宋の、永初、元嘉、大明、などです。

「景初三年」であれば、景初という年号を使い始めてから三年目という意味です。

皇帝の交代や改元によって年号は変わります。

そのため、中国年号を読むには、

どの王朝か。
どの皇帝か。
何年目か。

を確認する必要があります。

六十干支は60年で巡る時間

一方、六十干支は、

甲子から癸亥までの60種類が順番に巡ります。

国立国会図書館「日本の暦」でも、干支は十干と十二支の組み合わせとして説明されています。

年に当てはめれば、

甲子、乙丑、丙寅……

と進み、60年後に再び甲子へ戻ります。

このため、

「己未」

「辛亥」

だけでは西暦何年かを一つに決められません。

同じ干支は60年ごとに現れるからです。

年号と干支を重ねる

ここで二つを重ねます。

例えば、

魏・景初三年 を調べると、西暦239年に当たります。

239年の干支は、己未。

したがって、

景初三年 =己未 =239年 と対応します。

『日本書紀』神功皇后紀が、

「太歳己未」と書いた年に、「明帝景初三年」

の記事を引用しているのは、この対応関係です。

干支だけでは年代を決められない

ここで、第1シリーズの稲荷山鉄剣を思い出します。

鉄剣には、辛亥年 と刻まれていました。

しかし辛亥は60年ごとに巡ります。

5世紀前後だけを見ても複数の候補が生まれます。

そこで、

ワカタケル大王。

古墳の年代。

刀剣や副葬品。

中国史書の倭王武。

などを重ねて、471年説が現在の通説的な理解になっています。

埼玉県立さきたま史跡の博物館の研究紀要でも、辛亥年=471年説が多数の研究者に支持される通説的立場であることが整理されています。

つまり、

干支は答えではなく、年代を絞る目盛り なのです。

中国年号も史料を確認する必要がある

では中国年号があれば、必ず正確なのでしょうか。

景初二年・三年問題を見ると、そう単純でもありません。

現在伝わる『三国志』には、

景初二年。

『日本書紀』が引用する『魏志』には、

景初三年。

一文字違います。

したがって、

「年号が書いてある」

だけで終わらず、

どの史料の、どの伝本に、どう書かれているか 

まで確認する必要があります。

西暦は後から付ける共通の物差し

私たちが、

景初三年=239年
元嘉二年=425年

などと書くとき、西暦は史料本文に書かれた数字ではありません。

古代史料の年号を、現代の共通年代表記へ換算しています。

西暦には大きな利点があります。

異なる王朝や国の出来事を一本の時間軸に並べられることです。

中国の景初三年。

日本書紀の神功皇后三十九年。

六十干支の己未。

これらを、

239年

という共通の目盛りに置いて比較できます。

三つの目盛りで確認する

古代の年代を読むとき、私は次の三つに分けると分かりやすいと思います。

①史料固有の紀年

景初三年。
元嘉二十年。
神功皇后三十九年。

②六十干支

己未。
癸未。
辛亥。

③現代の換算年

239年。
443年。
471年。

この三つを混ぜずに、一度分けてから対応させます。

そうすると、

「史料に西暦239年と書いてある」

というような誤解を避けられます。

照合すると「ずれ」も見える

年代照合の目的は、すべてをぴったり一致させることではありません。

むしろ、

一致しないところを見つけること も重要です。 

景初二年と三年。

『日本書紀』の紀年と中国史書。

記紀の年代と考古学的編年。

ずれがあれば、

伝写上の異同なのか。

後世の紀年設定なのか。

別の出来事を対応させているのか。

を検討することができます。

「合わないから間違い」ではなく、

なぜ合わないのか

が研究の入口になります。

次は5世紀の倭国へ

3世紀には卑弥呼と魏の外交がありました。

その後、中国史書では倭国に関する記録が再びまとまって現れるようになります。

5世紀です。

そこに登場するのが、

讃・珍・済・興・武 ――「倭の五王」です。

中国の宋の年号によって記録された五人の倭王。

次は、

「倭の五王と中国史書」 へ進みます。

参考資料・出典

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シリーズ:中国史書と倭国の年代

  • 魏志倭人伝と景初二年・三年  
  • 『日本書紀』神功皇后紀の「太歳己未」と卑弥呼  
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  • 国内史料・中国史料・考古資料はどう照合されるか

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