乙巳の変・壬申の乱|歴史事件の名前に残った六十干支

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「乙巳の変」。

「壬申の乱」。

日本史で聞いたことのある二つの名前です。

しかし、

乙巳とは何か。

壬申とは何か。

と考えてみると、ここまで見てきた暦の世界へ戻ってきます。

どちらも六十干支です。

乙巳の変が起きた645年は乙巳。

壬申の乱が起きた672年は壬申。

古代の年を表した干支が、そのまま歴史事件を呼ぶ名前として現在まで残っているのです。

このシリーズ「記紀から読む古代の暦」の最後は、この二つの事件から、干支と歴史のつながりを見てみます。

645年は「乙巳」の年

乙巳(いっし・きのとみ)は、六十干支の42番目にあたります。

645年は、この乙巳の年でした。

この年、中大兄皇子と中臣鎌足らによって蘇我入鹿が殺害され、その翌日には蘇我蝦夷が自害し、蘇我氏本宗家が滅びました。

この政変を、乙巳の変 と呼びます。

つまり「乙巳」は事件の内容を表す言葉ではありません。

事件が起きた年を表しています。

乙巳の変と大化の改新は同じではない

ここは整理しておきたいところです。

乙巳の変は、645年に起きた政変を指します。

一方、大化の改新 は、その政変後に始まった一連の政治改革を指す言葉です。

両者は深く関係しますが、まったく同じ意味ではありません。

乙巳の変。

その後の新政権。

大化という年号。

政治改革。

という流れで見ると分かりやすくなります。

そして暦の観点から注目したいのは、

乙巳という干支と、大化という元号が同じ時代に現れる

ことです。

「干支の年」と「元号の年」

645年は、

六十干支では、乙巳。

『日本書紀』の紀年では皇極天皇4年から孝徳天皇の時代へ移り、

そして、大化元年 という年号が置かれます。

一つの年を、

天皇在位年、
干支、
元号、

という複数の方法で表すことができる時代へ入ってきます。

前の記事で見た初期天皇紀とは、時間表現の様子が変わってきます。

672年は「壬申」の年

次は27年後。

672年です。

この年は六十干支で、壬申(じんしん・みずのえさる)にあたります。

天智天皇の死後、皇位継承をめぐって、大海人皇子と大友皇子側との間で大規模な内乱が起きました。

これが、壬申の乱 です。

大海人皇子は勝利し、その後、天武天皇として即位します。

「壬申の乱」という名前も、

壬申の年に起きた乱 ということから付けられています。

事件名を見るだけで年代が分かる

六十干支を知っていると、

「乙巳の変」

「壬申の乱」

という名前が、単なる固有名詞ではなくなります。

名前の中に、事件の年代情報 が入っているからです。

乙巳=645年。

壬申=672年。

現代の感覚でいえば、

「645年の変」

「672年の乱」

と呼んでいることに近いともいえます。

ただし六十干支は60年ごとに繰り返します。

乙巳も壬申も、その年だけの固有名称ではありません。

時代背景が分かって初めて、

どの乙巳か、
どの壬申か、

が決まります。

同じ干支は60年後に再び来る

六十干支は60年周期です。

したがって645年の乙巳から60年後、

705年も乙巳です。

672年の壬申から60年後、

732年も壬申です。

つまり、

「乙巳だから645年」

と単独で決めることはできません。

これは稲荷山古墳の「辛亥年」で見た問題と同じです。

干支は年代の手がかりになりますが、

歴史上の人物や出来事、
他の史料、

と組み合わせて初めて具体的な年が決まります。

鉄剣の「辛亥」と事件名の「壬申」

ここで、第1シリーズとつながります。

稲荷山古墳の鉄剣には、

辛亥年

という文字が刻まれていました。

これは「その剣を作った年」を伝える紀年でした。

一方、

乙巳の変。

壬申の乱。

では、干支そのものが後世の事件名に残りました。

同じ六十干支でも、

鉄剣に刻まれた年、
史書に書かれた年、
事件を呼ぶ名前、

と、残り方が違います。

暦の記号が、そのまま歴史の言葉になった例です。

壬申の乱は「天皇の時間」の転換点にもなる

壬申の乱に勝利した大海人皇子は、翌673年に天武天皇として即位しました。

天武・持統朝は、その後の律令国家形成や『日本書紀』編纂へつながる時代として重要です。

つまり、

『日本書紀』に記録された壬申の乱は、

後に『日本書紀』を成立させる国家の歴史とも深くつながっています。

干支で呼ばれる一つの内乱が、

日本の古代国家と歴史記録の形成にもつながっていくことになります。

干支が歴史の名前になる

六十干支を調べていると、

甲子、
乙丑、
丙寅……

という60種類の並びに見えます。

しかし歴史の中へ入ると、それらは単なる一覧ではありません。

辛酉は、神武天皇即位の紀年。

辛亥は、稲荷山鉄剣の銘文。

乙巳は、645年の政変。

壬申は、672年の内乱。

という形で、それぞれ具体的な歴史と結びついてきます。

暦の中にあった記号が、

歴史を記憶する言葉

へ変わっているのです。

記紀の時間から、中国史書の時間へ

ここまで、この第2シリーズでは、

神武天皇即位の辛酉。

『日本書紀』の干支紀年。

初期天皇の即位紀年。

年次のない神代。

そして、

乙巳の変と壬申の乱。

を見てきました。

『古事記』『日本書紀』の中には、さまざまな形で古代の時間が残されています。

しかし、日本側の記録だけでは年代を確かめにくい時代があります。

そこで次は、

日本の外側から記録された時間

を見ます。

『魏志』倭人伝。

中国の年号。

卑弥呼。

倭の五王。

日本側の紀年と中国史書の記録を照らし合わせると、古代の年代はどのように見えてくるのでしょうか。

次のシリーズ、「中国史書と倭国の年代」へ続きます。

参考資料・出典

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シリーズ記事一覧

古代の時間へのアプローチ… 

シリーズ:暦から読む古代史

  • 稲荷山古墳の辛亥年銘鉄剣
  • 富雄丸山古墳の巨大蛇行剣
  • 高松塚古墳の星宿図
  • キトラ古墳の天文図
  • キトラ古墳の十二支像
  • 古墳に残る四神

次のシリーズ:記紀から読む古代の暦

  • 神武天皇即位の「辛酉」とは
  • 『日本書紀』の干支紀年
  • 初期天皇の即位年はどう置かれたのか
  • 神代にはなぜ年次がないのか
  • 乙巳の変・壬申の乱―事件名に残る干支  ← この記事

次のシリーズ:記紀から読む古代の暦

  • 『魏志』倭人伝の景初二年・三年
  • 卑弥呼の時代を干支で読む
  • 『宋書』倭国伝と倭の五王
  • 倭王武とワカタケル大王
  • 中国史書と『日本書紀』の年代はどう違うのか

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