七十二候の定め方…日にちの割り振りはやめた…節気の欄に3つ

 さて、七十二候についてですね、二十四節気のように日付で整理しようと思ったんですが、あまりないんですよね。なんでかなと、調べてみると、しっかり根拠がありました。

国立天文台暦計算室にありましたので紹介します。

立天文台 > 暦計算室 > 暦Wiki > 季節

ここに、「七十二候の定め方」とありました。
なんと、七十二候を日にちまで割り振ることはやめた、とあるんです。
以下、少し抜粋。

七十二候の定め方

 ○ 寛政暦以前は二十四節気と同様に平気法~1年の長さを72等分する方式。
    ・およそ5日ごと~没日を除けばちょうど5日ごと。

 ○ 天保暦では二十四節気を定気法で定めるようになった一方で、七十二候を日にちまで
  割り振ることはやめた
(「今亦沿之並廃配日歩法」新法暦書続編 巻四(p.142))。
懐中暦では二十四節気の欄に3つまとめて記載する方式。
    ・明治 7年から明治17年までの略本暦も同様

                         確認リンク → 七十二候の定め方

 もう少しあります。雑節の半夏生だけは天保暦でも記載されていたようです。でも複雑な事情があるようで…。 以下、少し抜粋。

 ○ ただし、半夏生については天保暦でも日付が記載されている。
    ・たとえば、以下のような方法。
       ・二十四節気と同様に太陽の黄経で定める方法。半夏生の場合、黄経100°
       ・土用と同様に定気法の節気の時刻に1年の長さの72分の1を加える方法
          半夏生の場合、夏至の時刻+1年の長さ÷72×2。
       ・定気法で定めた節気の時刻を3等分する方法
          半夏生の場合、夏至と小暑の間を3等分した2つ目。

    ・これらの方法で日付に違いが生ずるを調べると、天保十五年(1844)は2つ目、
     嘉永元年(1848)以後は1つ目か3つ目。天保暦の使われていた明治6年までの暦を
     比較しても1つ目と3つ目の区別はつかない。

    ・もちろん現代の半夏生は1つ目の方法を用いている。3つ目の方法は類似例が
     ないので、当初は2つ目だったが嘉永元年までに定気法へ変更されたと考え
     てもよさそう。                    

                      確認リンク → 七十二候の定め方
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