日本の改暦(明治改暦)とは何か|旧暦から太陽暦へ

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旧暦から太陽暦へ変わった日本の暦

現在の日本では、世界の多くの国と同じ 太陽暦(グレゴリオ暦) が使われています。

しかし、日本では長い間 旧暦(太陰太陽暦) が使われていました。

この暦が大きく変わったのが、

明治5年(1872年)の改暦

です。

この改暦は、日本の歴史の中でも非常に大きな制度変更の一つでした。


改暦以前の日本の暦

明治時代以前、日本では 太陰太陽暦 が使われていました。

この暦は

  • 月の満ち欠け
  • 太陽の季節

の両方を組み合わせた暦です。

一か月は新月から始まり、

  • 29日
  • 30日

の月で構成されていました。

そして季節とのズレを調整するために 閏月(うるうづき) が入れられていました。

この暦は中国から伝わり、日本でも改良されながら長く使われてきました。


明治改暦

明治政府は

明治5年11月9日

に改暦を発表しました。

そして

明治5年12月3日を
明治6年1月1日

とすることが決められました。

つまり

旧暦の12月の途中で
突然、新しい年が始まったことになります。

この変更によって、日本は 太陽暦(グレゴリオ暦) を採用しました。


改暦の理由

改暦にはいくつかの理由がありました。

西洋との制度統一

明治時代、日本は急速に近代化を進めていました。

外交や貿易のためには、西洋と同じ暦を使う方が便利だったのです。


行政制度の整理

旧暦は閏月があるため、年によって日数が変わります。

太陽暦を採用することで、行政や会計の制度を整えやすくなりました。


財政上の事情

実は改暦には 財政的な理由 もありました。

当時の政府は、役人の給与を月給制で支払っていました。

旧暦のままでは、明治6年には 閏月 が入り、給与の支払いが一か月分増える可能性がありました。

太陽暦へ改暦することで、この問題を避けることができたとも言われています。


社会への影響

突然の改暦は、人々の生活にも影響を与えました。

例えば

  • 正月の時期
  • 農作業の目安
  • 年中行事

などが大きく変わることになりました。

しかし、長く続いてきた季節感はすぐには消えませんでした。

そのため

  • 七夕
  • 月見

などは、旧暦の季節感を背景にした行事として今も続いています。


改暦後の日本の暦文化

現在の日本では太陽暦が使われていますが、季節文化の多くは旧暦の世界を背景にしています。

例えば

  • 二十四節気
  • 七十二候
  • 雑節

などは、旧暦の季節感を理解するための重要な仕組みです。

そのため、日本の暦文化を理解するには

旧暦と太陽暦の両方を知ること

が大切になります。


ひとこと

明治改暦は、日本の時間の仕組みを大きく変えた出来事でした。

しかし、暦が変わっても季節の感じ方や行事の文化は完全には変わりませんでした。

現在の暦と、昔の暦の両方を知ることで、日本の季節文化はより深く理解できるようになります。


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