――教科書が言葉を「当たり前」にした
和製漢語が社会に定着した最大の要因は、
新聞でも、法律でもなく、
学校教育、とりわけ教科書でした。
一度教科書に載った言葉は、
- 正しい言葉
- 標準的な意味
- 共有される知識
として、世代を超えて引き継がれていきます。
文明開化で生まれた多くの和製漢語は、
教科書を通じて「考えるための共通語」になったのです。
目次
教科書が果たした決定的な役割
なぜ教科書だったのか
明治期の日本では、
- 学校制度の急速な整備
- 義務教育の拡大
- 全国共通の教材使用
が進められました。
その結果、教科書は、
- 地域差を超え
- 身分差を超え
- 世代差を超えて
言葉の意味を統一する装置になりました。
学問語彙としての和製漢語
理科・哲学・社会科
教科書に最初に定着したのは、
- 科学
- 技術
- 医学
- 哲学
といった、学問分野の名称や基本概念です。
これらは、
- 丸暗記の対象ではなく
- 考え方そのものを示す言葉
として使われました。
👉
教科書は、
「この言葉で考えなさい」
という無言の指示を与えていたとも言えます。
政治・社会語彙の定着
国家・国民・権利・民主
明治中期以降、
公民・歴史系の教科書には、
- 国家
- 国民
- 憲法
- 権利
- 義務
- 民主
といった語が並ぶようになります。
これにより、
抽象的だった近代国家の仕組みが、
- 図解
- 定義
- 例文
を通して、
言葉として理解可能なものになりました。
教科書が意味を「固定」した瞬間
和製漢語の多くは、
成立当初、意味が揺れていました。
- 自由はどこまで許されるのか
- 権利は誰のものか
- 社会とは何を指すのか
こうした揺れは、
教科書の定義文によって次第に収束していきます。
○○とは、〜である。
という一文が、
言葉の意味を半ば公式化したのです。
「考える言葉」から「覚える言葉」へ
一方で、
教科書化には副作用もありました。
- 本来は思考のための言葉が
- 試験対策の用語になり
- 暗記対象へと変化する
という側面です。
和製漢語の多くが
「難しい」「抽象的」と感じられるのは、
教科書的定義だけが先行した結果とも言えます。
戦後教育と和製漢語
戦後、日本の教科書は大きく改訂されますが、
- 科学
- 社会
- 経済
- 民主
- 権利
といった和製漢語は、
基礎語彙として残り続けました。
意味の説明は変わっても、
言葉そのものは、
すでに社会に深く根づいていたのです。
教科書は「思考の型」を教えた
教科書が教えたのは、
単なる知識ではありません。
- 世界は分析できる
- 社会は構造として捉えられる
- 人は権利を持つ主体である
こうした近代的な世界観が、
和製漢語を通して、
自然に刷り込まれていきました。
おわりに――教科書は翻訳の完成形だった
翻訳書は、一部の知識人のものです。
しかし教科書は、
社会全体のものです。
和製漢語は、
- 翻訳によって生まれ
- 教育によって定着し
- 教科書によって完成した
と言ってよいでしょう。
文明開化は、
言葉を作るだけでなく、
言葉を教える仕組みまで整えた時代でした。
