――近代国家は、三つの言葉から始まった
私たちが「当たり前」だと思っている社会の仕組みは、
実は、いくつかの言葉によって初めて成立したものです。
その中でも、
- 自由
- 権利
- 民主
この三つは、
近代国家を支える中核的な概念であり、
同時に、日本にとっては翻訳によって獲得された言葉でした。
目次
「自由」という言葉の変化
「自由」という語自体は、
中国仏教に由来する古い言葉です。
もともとの意味は、
- 束縛されない
- 思いのまま
- 心のあり方
といった、
内面的・精神的な状態を指していました。
しかし近代に入り、
西洋の liberty を受け止める中で、
「自由」は新しい意味を担います。
それは、
- 行動の自由
- 思想・言論の自由
- 法によって保障される自由
という、
社会制度としての自由でした。
「権利」という言葉が示した転換
「権利」もまた、
古くから存在する漢語です。
- 権:力、はかりごと
- 利:利益、得るもの
近世までの「権利」は、
主に、
- 地位に付随する力
- 特権
- 支配の正当性
を意味していました。
ところが right(s) の訳語として再定義されることで、
「権利」は、
- 個人に帰属するもの
- 法によって守られるもの
- 他者と対等に主張できるもの
へと変わります。
ここで初めて、
「個人」という主体が言葉として立ち上がりました。
「民主」という、最も新しい考え方
「民主」は、
democracy の訳語として定着した言葉です。
- 民:人々
- 主:支配する者
つまり、
**「人々が主となる」**という、
それまでの日本には存在しなかった発想でした。
近世までの統治は、
- 君主
- 武家
- 為政者
が行うものであり、
民は「治められる存在」でした。
民主という言葉は、
統治の主体を根底から問い直す
極めて革新的な概念だったのです。
三つの言葉が結びついたとき
これら三語は、
単独では成立しません。
- 自由があっても、権利がなければ守られない
- 権利があっても、民主がなければ反映されない
- 民主があっても、自由がなければ形骸化する
三つが結びついて初めて、近代国家は機能します。
文明開化とは、
制度を導入する以前に、
この三語を理解し、使いこなす過程でした。
言葉が社会を変えたという事実
重要なのは、
日本がこれらを「そのまま受け入れた」のではなく、
日本語として翻訳し、意味を考え、定着させたことです。
- 自由とは何か
- 権利とは誰のものか
- 民主とはどこまで及ぶのか
これらは、
今もなお問い続けられている問題です。
おわりに──近代は、言葉によって始まった
文明開化は、
建物や制度の変化だけではありませんでした。
それは、
- 人は自由である
- 人は権利を持つ
- 人は社会の主人公である
という考え方を、
言葉として獲得した時代でもあります。
近代国家は、
三つの言葉――
自由・権利・民主から始まりました。
