初期天皇の即位年はどう置かれたのか|『日本書紀』の紀年を読む

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ひとつ前の記事になりますが、『日本書紀』では天皇の在位年と六十干支を組み合わせながら、古代の時間が組み立てられていることを見ました。

では、その「天皇の在位年」そのものは、どこまで実際の年代を表しているのでしょうか。

神武天皇に続いて、

綏靖天皇、
安寧天皇、
懿徳天皇、
孝昭天皇、
孝安天皇、
孝霊天皇、
孝元天皇、
開化天皇、

と初期の天皇が続きます。

『日本書紀』には、それぞれの即位年や在位期間が置かれています。

しかし、この年代をそのまま現在の西暦へ置き換えて、実際の出来事の年と考えてよいのでしょうか。

今回は、初期天皇の紀年そのものを見てみます。

神武天皇から始まる「天皇の時間」

『日本書紀』では、神武天皇が辛酉年に即位したとされ、そこから歴代天皇の紀年が続いていきます。

天皇が代わると、「元年」から数え直します。

一方、六十干支は途切れず巡ります。

つまり、

天皇の在位年という時間と、六十干支という時間が、

重なりながら進んでいきます。

この仕組みによって、『日本書紀』の中には神武天皇から持統天皇までの長い時間軸が作られています。

「欠史八代」と呼ばれる天皇たち

神武天皇に続く第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの八代は、一般に「欠史八代」と呼ばれています。

※「欠史八代」は、具体的な事績記事が少ない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までを指す研究上の呼称で、紀年の問題自体も現在まで研究対象になっています。リンク先は用語確認用です。

これは、これらの天皇について『古事記』『日本書紀』に系譜や宮、陵、寿命などの記載はあるものの、具体的な事績の記事が非常に少ないことから付けられた研究上の呼称です。

「何も記録がない」という意味ではありません。

系譜や婚姻関係などは記されています。

しかし、後代の天皇紀に比べると、

何年に何が起きた、
どのような政治を行った、

という具体的な記事が乏しいのです。

それにもかかわらず、『日本書紀』では各天皇の即位年や在位年が整然と配置されています。

ここに紀年を考える重要な問題があります。

長い在位年と長寿

初期の天皇紀を見ると、非常に長い在位期間や寿命が現れます。

神武天皇についても、『日本書紀』の紀年をそのまま連続させると、現代の感覚では非常に長い生涯になります。

その後の初期天皇にも、長い在位期間が置かれています。

このため近代以降の歴史研究では、

『日本書紀』の初期紀年は、そのまま実年代を記録したものではない

と考えられてきました。

特に、神武天皇の即位年を古い時代へ置いたことによって、その後の天皇紀年も長く引き延ばされたのではないか、という紀年論があります。

なぜ年代を連続させる必要があったのか

『日本書紀』は単なる物語集ではありません。

国家の歴史を、天皇を中心として時間順にまとめた歴史書です。

そのため、

初代天皇から現在へ至るまでの時間を、

途切れない歴史として配置する必要がありました。

人物の系譜だけでは、いつの時代なのかが分かりません。

そこへ、

天皇の在位年、
干支、
年月日、

を与えることで、出来事が一つの歴史的時間の中に配置されます。

『日本書紀』の紀年は、

「その年を正確に記録した数字」としてだけではなく、

歴史を一続きの時間として構成する仕組み として見る必要があります。

『古事記』と『日本書紀』では時間の書き方が違う

ここでも『古事記』との違いが重要です。

『日本書紀』は年月日を細かく配置する編年体の歴史書です。

一方、『古事記』では、『日本書紀』ほど各出来事を連続した年月日の中に配置していません。

ただし、『古事記』には一部の天皇について崩御した年の干支が記されています。

この「崩年干支」は、古代の年代を考えるうえで研究材料の一つになってきました。

つまり同じ天皇を扱っていても、

『日本書紀』の即位紀年、
『古事記』の崩年干支、

では、時間情報の残り方が異なります。

紀年は一つの史料だけで決められない

では、初期天皇の実年代はどう考えるのでしょうか。

ここでも、前のシリーズと同じ考え方が必要になります。

一つの記録だけで年代を決めるのではありません。

記紀の紀年。

中国の史書。

朝鮮半島の史料。

古墳。

出土した鉄剣や鏡。

土器などの考古学的編年。

こうした異なる資料を重ね合わせて、古代の年代を考えます。

『日本書紀』の数字と考古学の年代が合わない場合、その「ずれ」そのものが研究の対象になります。

「書いてある年」と「起きた年」を分ける

このシリーズで大切にしたいのは、

史料に書かれている年代と、歴史上の実年代を分けること です。

「日本書紀に○年と書いてある」。 これは一つの事実です。

しかし、

「だから実際にもその年だった」。とは、そのまま言えません。

逆に、

実年代が確定しないから『日本書紀』の記述に意味がない、

ということでもありません。

『日本書紀』が、

なぜその年代を置いたのか。
どのような時間の仕組みを使ったのか。

を見ることで、編纂された時代の歴史観や時間観を知ることができます。

初期天皇の紀年から見えるもの

神武天皇から続く初期天皇の紀年を見ると、

暦が単に日付を知るための道具ではないことが分かります。

歴史上の人物を、

「いつの人だったのか」

という時間の中に配置するためにも、暦の仕組みが使われました。

天皇の在位年。

六十干支。

月日。

それらを組み合わせて、『日本書紀』は古代の時間を一本につないでいきました。

その紀年が実年代と一致するかどうかは、また別の問題です。

だからこそ古代史では、

「何年と書いてあるか」から、「なぜその年が置かれたのか」へ

と問いを進める必要があります。

次は、さらに時間をさかのぼります。

神武天皇より前の、「神代」 です。

『日本書紀』には神代の記事があるのに、なぜ「神代元年」「神代二年」という年次はないのでしょうか。

物語の時間と、歴史の時間の境目を見てみます。

参考資料・出典

「欠史八代」は第2代綏靖天皇から第9代開化天皇を指す研究上の呼称で、紀年の問題自体も現在まで研究対象になっています。

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シリーズ:記紀から読む古代の暦

  • 神武天皇即位の「辛酉」とは  
  • 『日本書紀』の干支紀年
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  • 神代にはなぜ年次がないのか
  • 乙巳の変・壬申の乱―事件名に残る干支

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