『日本書紀』の干支紀年|古代の年はどう記されたのか

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『日本書紀』を読んでいると、

「○○天皇三年」、「甲子」、「辛酉」、「庚辰朔」

といった、現在の日付とは少し違う時間の表し方が現れます。

現代なら、2026年9月28日と書けば、ひとつの日付として通じます。

しかし古代の史書では、

天皇の在位年と、六十干支 を組み合わせながら時間が記されていました。

前回は、神武天皇の即位を「辛酉年」とした紀年を見ました。

今回はそこから一歩広げて、

『日本書紀』は、古代の時間をどのように並べたのか 

を見ていきます。

『日本書紀』は「編年体」の歴史書

『日本書紀』は、720年に完成した日本最初の本格的な編年体の歴史書です。

巻第一・巻第二は神代。巻第三以降は神武天皇から持統天皇まで、天皇ごとの紀に分けながら、出来事を年月日の順に並べています。

「編年体」とは、出来事を時間の順序に沿って記録する方法 です。

つまり『日本書紀』にとって、「いつ起きたのか」は非常に重要な要素でした。

ただし、その「いつ」は、現在の西暦とは異なる仕組みで表されています。

基本になるのは「天皇の在位年」

『日本書紀』では、基本的に、

○○天皇元年
○○天皇二年
○○天皇三年……

という形で年を数えます。

これは、その天皇が即位してから何年目か を示す方法です。

たとえば、

神武天皇元年
応神天皇九年
天武天皇十年

といった表現です。

この方法では、天皇が代わると再び「元年」から数え直します。

したがって、現在の西暦のように、

紀元前660年
西暦239年
西暦672年

と連続した一本の数字で年を数えているわけではありません。

年の位置を示す六十干支

そこで重要になるのが、六十干支 です。

甲子から癸亥までの60種類が順番に巡るため、

「その年が何の干支だったか」を示すことができます。

例えば、

甲子、乙丑、丙寅…… と60年で一巡し、再び甲子へ戻ります。

前回見た神武天皇元年は、辛酉 とされています。

つまり、「神武天皇の在位第一年」

という紀年と、「六十干支では辛酉」

という二つの時間表現が重なっています。

干支は「年」だけではない

六十干支は年を示すためだけに使われたわけではありません。

『日本書紀』では、日付にも干支 が使われています。

神武天皇即位の記事には、

「辛酉年春正月庚辰朔」という表現があります。

ここでは、

辛酉=年の干支
庚辰=日の干支
朔=月の第一日

という情報が重なっています。

つまり古代の時間表現では、

年にも干支があり、日にも干支がある のです。

年の六十干支は60年周期。

日の六十干支は60日周期で巡ります。

同じ「甲子」「辛酉」という文字でも、それが年を指すのか日を指すのかは、文脈を見て判断する必要があります。

「朔」も時間を読む重要な言葉

『日本書紀』には、「○月○○朔」という表現がよく現れます。

朔は、月の第一日 を意味します。

もともとは月と太陽がほぼ同じ方向に並ぶ新月の時期と結びついた言葉です。

古代の暦では、月の満ち欠けが月日を数える重要な基準でした。

そのため、

月名
朔日の干支
その後の日数

を組み合わせることで、具体的な日付を表すことができます。

ここにも、暦と歴史記録が直接つながっている ことが見えてきます。

「元号」がまだない時代

ここで、

「なぜ大化○年、天平○年のように書かないのか」

という疑問が出てきます。

日本で元号が用いられるようになるのは、7世紀以降です。

『日本書紀』では、大化 が日本で最初に明記された年号とされています。

その後、白雉・朱鳥などが現れますが、年号が継続的に使われるようになるのは大宝以降です。

それ以前の時代については、天皇の在位年+干支 という組み合わせが、時間を整理する重要な仕組みになります。

古い時代ほど紀年には注意が必要

ただし、

『日本書紀』に「○○天皇○年」と書いてあるから、

それをそのまま実際の西暦年と考えてよいわけではありません。

これは前回の神武天皇紀でも見ました。

『日本書紀』は720年に完成しています。

神武天皇や初期の天皇の記事は、出来事と同時代に書かれた記録ではありません。

後世に、

人物の系譜、
伝承、
中国史書、
干支、
暦法、

などを組み合わせながら、時間の枠組みが構成されています。

そのため、古い時代になるほど、

日本書紀』上の紀年 と、歴史上の実年代 を分けて考える必要があります。

紀年の「ずれ」が研究の手がかりになる

この違い自体が、古代史研究の重要な手がかりになります。

たとえば神功皇后紀や応神天皇紀では、中国・朝鮮半島側の史料との比較から、

『日本書紀』の年代が実年代より大きくさかのぼって配置されているのではないか、

という研究が行われてきました。

特に、干支は60年で一巡する ため、

60年、120年、という単位のずれが検討されることがあります。

ここでも六十干支が、単なる暦の知識ではなく、

史料同士の年代を照合する道具 として働いています。

『古事記』との違いも見えてくる

『日本書紀』と『古事記』では、年代の記し方にも違いがあります。

『日本書紀』は編年体で、

天皇の在位年、
月、
日、

を細かく配置していきます。

一方、『古事記』では『日本書紀』ほど連続した年月日の紀年を採っていません。

その一方で、天皇の崩年について干支を記す例があります。

この違いから、どちらの紀年情報がどの段階で成立したのか という問題も研究されてきました。

記紀は同じ古代の物語を扱っていますが、

「時間の記録方法」は同じではないのです。

干支は古代の時間をつなぐ共通記号

『日本書紀』の紀年を見ていくと、

天皇の在位年、
六十干支、
月、
朔、
日の干支、

という複数の仕組みが重なっています。

その中で、六十干支には特徴があります。

天皇が代わっても、

干支の循環そのものは続いていく ということです。

天皇の在位年は一代ごとに元年へ戻ります。

しかし干支は、

甲子、乙丑、丙寅……と途切れず循環します。

この違いによって、

「王の時間」と「暦の時間」という二つの時間軸を見ることもできます。

古代の年を読むには一つの時計だけでは足りない

現代では、西暦という一つの連続した時間軸で歴史を見ることに慣れています。

しかし古代史を読む場合、

天皇の在位年、
干支、
元号、
中国年号、
考古学的編年、

など、複数の時間軸を重ねる必要があります。

『日本書紀』の干支紀年は、その中心にある重要な仕組みの一つです。

ただし、

「干支が書かれているから年代が確定する」わけではありません。

六十干支は繰り返します。

だからこそ、ほかの史料と照合する必要がある のです。

そこに、古代の時間を読む面白さがあります。

次は、「初期天皇の即位年はどう置かれたのか」へ進みます。

神武天皇から続く初期天皇の長い在位年や寿命は、どのような時間の枠組みの中に置かれているのでしょうか。

『日本書紀』の紀年を、今度は「天皇の年代」という側から見ていきます。

参考資料・出典

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シリーズ記事一覧

シリーズ:記紀から読む古代の暦

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  • 神代にはなぜ年次がないのか
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