『日本書紀』には、初代天皇とされる神武天皇の即位について、
「辛酉年春正月」 と記されています。
辛酉(しんゆう・かのととり)は、六十干支の一つです。
現在、この年を西暦に換算すると、紀元前660年 とされています。
しかし、ここで一つ疑問が生まれます。
六十干支は60年ごとに同じ干支が巡ってきます。
それなのに、なぜ神武天皇の「辛酉」は紀元前660年なのでしょうか。
そして、その年は実際の即位年を記録したものなのでしょうか。
このシリーズ「記紀から読む古代の暦」では、まずこの「辛酉」から、『日本書紀』に置かれた古代の時間を見ていきます。
『日本書紀』に記された「辛酉年」
『日本書紀』巻第三の神武天皇紀には、
「辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮」とあります。
大意は、
「辛酉の年の春正月、庚辰の朔日に、天皇が橿原宮で即位した」
というものです。
そして、その年を神武天皇元年としています。
重要なのは、『日本書紀』本文に、「紀元前660年」と書かれているわけではないことです。
記されているのは、「辛酉年」という六十干支による年の表現です。
後世、この干支紀年を西暦に対応させたとき、紀元前660年に当たるとされています。
辛酉は六十干支の58番目
辛酉は、十干の「辛」と十二支の「酉」を組み合わせた干支です。
六十干支では58番目にあたります。
甲子から始まり、乙丑、丙寅……
と進み、60番目の癸亥まで行くと、再び甲子に戻ります。
つまり辛酉も、60年ごとに巡ってきます。
そのため、「辛酉年」という情報だけでは、何年なのかを一つに決めることはできません。
これは前のシリーズで見た、稲荷山古墳の「辛亥年」と同じです。
干支だけでは年代は決まらない。
別の時間の手がかりが必要になります。
なぜ紀元前660年なのか
神武天皇元年が紀元前660年に置かれた理由について、長く有力とされてきた説明が、
辛酉革命説です。
これは古代中国の讖緯説(しんいせつ)に由来する考え方で、辛酉の年には政治的・社会的な大きな変化が起こるとする思想です。
六十干支の一巡である60年を一つの周期とし、さらに大きな周期の中で辛酉の年を重要な変革の年と考える思想がありました。
その考え方が、『日本書紀』の紀年構成にも影響したのではないかと考えられています。
601年から1260年さかのぼる
よく知られる説では、
推古天皇9年=601年 が一つの手がかりになります。
601年も、辛酉 の年です。
辛酉革命説では、60年を一元とし、その21回分、
60年 × 21=1260年 を一つの大きな周期「一蔀(いちぼう)」とする考え方があります。
601年から1260年さかのぼると、紀元前660年 になります。
そして、この年も辛酉です。
そのため、『日本書紀』の編纂過程で、この大きな辛酉の周期を用いて神武天皇の即位年が設定されたのではないか、という考え方が示されてきました。
ただし研究上は、逆算の起点を601年と考える説だけでなく、661年などをめぐる議論もあります。
「紀元前660年」という年がどのような計算や思想によって設定されたのかについては、現在も研究されています。
紀元前660年は「実年代」なのか
ここは、このシリーズで特に注意したいところです。
紀元前660年を、そのまま神武天皇が実際に即位した歴史上の年と考えることはできません。
『日本書紀』は720年に完成した史書です。
神武天皇紀に置かれた年代は、出来事と同時代に書き残された記録ではありません。
現在の古代史研究では、神武天皇の実年代を紀元前660年と確認できる同時代史料や考古資料はなく、『日本書紀』の紀年は後世に構成されたものと考えられています。
したがって、
『日本書紀』上の神武元年=辛酉年 と、歴史上の実年代
は分けて考える必要があります。
これは「記紀を信用するか、しないか」という問題ではありません。
むしろ、『日本書紀』の編者が、なぜこの年代を置いたのか を見ることが重要です。
「辛酉」を選んだことに意味がある
もし神武元年が単なる年代計算であれば、どの干支でもよかったはずです。
しかし、『日本書紀』は初代天皇の即位を、
辛酉 という年に置いています。
辛酉革命説では、辛酉は大きな変革と結びつけられる年です。
王朝の始まりともいえる神武天皇の即位を、そのような象徴性を持つ年に置いた可能性があります。
つまり干支は、
単に年を数える記号ではなく、歴史を構成する思想にも使われた
ことになります。
ここが、現代のカレンダーで見る「今年は午年」とは大きく違うところです。
「紀年」と「年号」は違う
神武天皇元年という表現を見ると、「元年」という言葉から年号を想像しやすいかもしれません。
しかし、神武元年は「大化元年」のような元号ではありません。
神武天皇の即位を起点とした紀年です。
日本で「大化」などの元号が用いられるのは、はるか後の時代です。
それ以前の時代を『日本書紀』では、
○○天皇○年
という形で構成し、その年に干支を対応させています。
この「天皇の在位年」と「六十干支」の組み合わせが、『日本書紀』の時間を形づくる重要な仕組みになります。
暦は歴史の時間も組み立てる
前のシリーズでは、実物資料に残された時間を見てきました。
鉄剣に刻まれた「辛亥年」。
古墳や副葬品による編年。
星宿図。
天文図。
十二支。
四神。
ここからは、文字として残された歴史書の中へ入ります。
神武天皇紀の「辛酉」は、実物に刻まれた干支ではありません。
『日本書紀』という歴史書の中に置かれた干支です。
しかし、その一つの干支から、
六十干支、中国思想、紀年法、歴史書の編纂、がつながってきます。
暦は、日々を数えるだけではありません。
人が過去をどのような時間の中に置くのか――。
そのためにも使われてきました。
紀元前660年を「答え」ではなく「問い」として見る
神武天皇即位の年は、「紀元前660年」。
そう覚えるだけなら、一行で終わります。
しかし、なぜ紀元前660年なのか。と問い直してみると、その背後に六十干支と辛酉革命説という古代東アジアの時間観が見えてきます。
そして、史書に書かれた年代と、実際に起きた年代は同じなのか
という、古代史を読むうえで重要な問題にもつながります。
次は、神武天皇紀だけではなく、『日本書紀』全体で干支がどのように年を示しているのかを見ていきます。
「『日本書紀』の干支紀年|古代の年はどう記されたのか」へ続きます。
参考資料・出典
- 日本書紀 自神武天皇至崇神天皇巻 新訂 – 国立国会図書館デジタルコレクション『日本書紀』巻第三 神武天皇紀(国立国会図書館デジタルコレクション)本文には「辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮」と記されています(P.17_6行目)。
- 池田昌広「神武元年はなぜ西暦紀元前六六〇年なのか」京都産業大学日本文化研究所紀要 第31号 論文要旨では、『日本書紀』の神武即位紀年を史実の実年代とはみなさず、辛酉革命論との関係から設定された紀年として検討しています。
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「神武天皇は、いつ頃の人か知りたい。」
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「初代天皇とされる神武天皇が即位したのはいつ頃のことなのか知りたい。」
シリーズ記事一覧

シリーズ1:暦から読む古代史
- 稲荷山古墳の辛亥年銘鉄剣
- 富雄丸山古墳の巨大蛇行剣
- 高松塚古墳の星宿図
- キトラ古墳の天文図
- キトラ古墳の十二支像
- 古墳に残る四神
このシリーズ:記紀から読む古代の暦
- 神武天皇即位の「辛酉」とは ← この記事です。
- 『日本書紀』の干支紀年
- 初期天皇の即位年はどう置かれたのか
- 神代にはなぜ年次がないのか
- 乙巳の変・壬申の乱―事件名に残る干支
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