神社と太陽の道|方角から季節と暦を読み解く

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「太陽の道」とは何だろう

春分の朝。

太陽が東から昇ります。

やがて空を渡り、西へ沈みます。

夏になると、日の出も日の入りも北寄りへ移ります。

冬になると、今度は南寄りへ移ります。

そして再び元の方向へ戻ってきます。

一年を通して空を見続ければ、

太陽が空に大きな周期を描いている

ことが分かります。

前の記事では、春分・秋分の日に三輪山から昇った太陽が二上山を越えて大阪湾へ沈むという景観を取り上げました。

文化庁の日本遺産では、この地域を通る竹内街道・横大路とともに、

「太陽の道」

という印象的な言葉が使われています。

今回は、この「太陽の道」を入口にして、神社の方角から太陽の一年、そして暦までをつないでみます。


三輪山から二上山へ

奈良盆地の東には三輪山があります。

西には二上山があります。

そして、その間を東西方向に横切るのが横大路です。

文化庁の日本遺産「竹内街道・横大路」では、春分・秋分の日に、

三輪山から太陽が昇り、二上山を越えて大阪湾へ沈む

という景観が紹介されています。

さらに、この東西軸を「太陽の道」として捉えています。

第3記事で神体山として見た三輪山。

第8記事では春分・秋分の日の出との関係から見ました。

同じ山が、今度は東西を結ぶ太陽の動きの中に現れてきます。


「一本の線」だけが太陽の道ではない

ただし、ここで「太陽の道」という言葉を少し広く考えてみましょう。

春分・秋分なら、日の出はほぼ東、日の入りはほぼ西です。

そのため、

東――西

という一本の線が非常に分かりやすく見えます。

しかし太陽は一年中、その線を通るわけではありません。

夏至のころには、

北東寄りから昇り、北西寄りへ沈む。

冬至のころには、

南東寄りから昇り、南西寄りへ沈む。

つまり、地上から見た「太陽の道」は季節とともに変化します。

一本の固定された線というより、

一年を通して少しずつ動く太陽の道

と考えた方が、実際の空に近いのです。


四つの節目を並べてみる

ここまでの記事で見てきた太陽の一年を、いったん整理してみましょう。

春分
太陽はほぼ真東から昇り、ほぼ真西へ沈む。

夏至
日の出・日の入りが一年で最も北寄りになるころ。

秋分
再び、ほぼ真東から昇り、ほぼ真西へ沈む。

冬至
日の出・日の入りが一年で最も南寄りになるころ。

そして再び春分へ向かいます。

この四つが、

二至二分

です。

太陽の一年を考えるための、大きな四つの目印です。


空に刻まれる一年

ここで、現代のカレンダーをいったん頭から外してみましょう。

1月。

2月。

3月。

という数字がなくても、空には変化があります。

太陽が昇る場所が変わる。

沈む場所が変わる。

昼の長さが変わる。

太陽の高さが変わる。

山のどこから太陽が昇るかも変わる。

それを一年間見続ければ、

時間が巡っている

ことが分かります。

太陽は、空に一年を刻む大きな時計のようにも見えます。


山は太陽の位置を知る目印になる

そこで重要になるのが、第3記事で扱ったです。

水平線だけを眺めて、

去年より何度北から太陽が昇った

と測るのは簡単ではありません。

しかし、山があれば違います。

あの峰から昇った。

あの谷から昇った。

あの山の左へ移った。

そして、また戻ってきた。

特徴的な山の稜線は、太陽の位置を知る自然の目盛りになります。

三輪山や二上山のような目立つ地形と太陽が重なると、その変化はさらに印象的だったでしょう。


神聖な山と太陽が重なるとき

ここで「神社と暦」の問題が面白くなってきます。

もし、その山が単なる地形ではなく、

神が鎮まる山

として祀られていたらどうでしょう。

三輪山は、大神神社の御神体として現在まで信仰されてきた山です。

そこから特定の季節に太陽が昇る。

すると、

神聖な山

太陽

季節

が、一つの景観の中に重なります。

これは非常に印象的です。

しかし――ここでも、これまでと同じ注意が必要です。


「重なって見える」と「意図した」は違う

神聖な山から太陽が昇る。

特定の日に神社の正面から太陽が見える。

二つの神聖な場所を結ぶ線と日の出・日の入りの方向が一致する。

こうした事例を見ると、

古代人が天文学的に計算して配置したのではないか

と考えたくなります。

しかし、位置が一致することだけでは、そこまで言えません。

第7記事で整理した三段階を、ここでも使います。

① 現象

実際にその方角から太陽が昇る、あるいは沈む。

② 祭祀との対応

その日や季節に祭祀が行われている。

③ 意図

その太陽の位置を意識して、神社・道・祭祀空間などを配置した。

①は天文計算や現地観察で確認できます。

②は神社の由緒や祭祀記録などから調べられます。

しかし③まで言うためには、さらに歴史資料や考古学的根拠が必要です。


「レイライン」とは分けて考える

近年、複数の神社や遺跡を地図上で結び、

レイライン

太陽の道

などと呼ぶ例があります。

観光や地域文化を楽しむ視点としては興味深いものです。

しかし、このシリーズでは、

地図上で一直線に並ぶことだけを根拠に、古代人が意図的に配置したとは考えません。

日本列島には膨大な数の神社があります。

多数の地点からいくつかを選べば、直線的に見える組み合わせが生まれることもあります。

したがって、

線が引ける

ことと、

その線に歴史的意味がある

ことは分けます。

ここは「神社と暦」を扱ううえで、かなり大切なところです。


それでも太陽を見ていたことは確か

では、神社と太陽の関係はすべて偶然なのでしょうか。

そういう意味でもありません。

人間が古くから太陽の動きを観察し、季節を知ってきたこと自体は、暦の歴史から明らかです。

そして日本では、中国から伝わった暦法をもとに太陰太陽暦が用いられ、太陽の一年の運行を示す二十四節気が季節を知る重要な基準となりました。

国立天文台も、二十四節気を日本や中国で伝統的に用いられてきた季節の目印と説明しています。現在は各節気を太陽黄経によって定義しています。

ここでは、推測ではなく明確に太陽と暦がつながります。

冬の朝日を浴びる来宮神社本殿


二至二分から二十四節気へ

春分。

夏至。

秋分。

冬至。

この四つだけでは、一年をかなり大まかにしか分けられません。

そこで太陽の一年をさらに細かく分けた体系が、二十四節気です。

現在の定義で見ると、

春分 0度
夏至 90度
秋分 180度
冬至 270度

となります。

その間にも15度ごとに節気が置かれ、一周360度を24に分けています。国立天文台の暦要項でも、二十四節気それぞれについて太陽黄経と中央標準時が示されています。

ここまで来ると、

太陽の道

が、

暦の道

へ変わってきます。


山から太陽黄経へ

これは、とても大きな変化です。

最初は、

あの山から太陽が昇った。

という景観だったかもしれません。

それが暦法の発達によって、

太陽が黄道上のどこにいるのか。

という天文学的な位置で表されるようになります。

山の峰を目印にしていた世界から、

太陽黄経という数値で太陽の位置を示す世界へ。

もちろん、この二つを直接的な歴史的発展段階として単純につなぐことはできません。

しかし、人間が見ている対象は同じです。

一年を巡る太陽です。


神社の祭りも一年を巡る

ここでもう一度、神社へ戻りましょう。

神社では一年を通してさまざまな祭りが行われます。

春の祭り。

夏の祭り。

秋の祭り。

冬の祭り。

農耕に関係する祭り。

季節の節目に行われる祭り。

宮中祭祀にも一年の流れがあります。

つまり神社の祈りも、

一年を巡る時間の中に置かれている

のです。

神社は場所として動きません。

しかし祭りは時間とともに巡ります。

ここに、

動かない場所

巡る時間

という二つの世界があります。


神社は動かず、太陽は巡る

この対比は、第2部を理解するうえで非常に分かりやすいと思います。

神社はそこにあります。

山もそこにあります。

海もそこにあります。

しかし、

太陽は動きます。

朝から夕へ。

冬から春へ。

春から夏へ。

夏から秋へ。

そして再び冬へ。

同じ神社から同じ山を見ても、太陽の位置は季節によって違います。

だから、

場所に時間を重ねる

必要が出てきます。

その時間を整理するものが、暦なのです。


「方角」と「暦」は別のものではなかった

第2部の最初では、

神社の方角

は、かなり離れたテーマに見えていました。

しかしここまで追ってみると、間には太陽があります。

神社から東を見る。

日の出を見る。

一年間見続ける。

日の出位置が動く。

折り返す。

春分・夏至・秋分・冬至が現れる。

さらに二十四節気へ細分される。

つまり、

場所 → 方角 → 空 → 太陽 → 季節 → 暦

という一本の道が見えてきます。

これこそ、この第2部で探してきた道です。


神社は「天文観測所」だったのか

ここで、あえて一番強い問いを置いてみます。

では、古代の神社は天文観測所だったのでしょうか。

現段階では、そのように一括して言うことはできません。

神社ごとに成立時期も由緒も祭祀も違います。

方角の理由も一つではありません。

山を拝した場所。

海と関係した場所。

集落を守る場所。

水と関係した場所。

政治・社会制度の中で成立した神社。

さまざまです。

したがって、

「古代神社=太陽観測施設」

という説明は、このシリーズでは採りません。


しかし「空を見なかった」とも言えない

一方で、祭祀を行った人々も、農耕を営んだ人々も、日々空の下で暮らしていました。

日の出。

日の入り。

月。

星。

季節。

雨。

風。

そして一年の巡り。

それらは生活から切り離されたものではありません。

神社と天文学を直接一本の線で結ぶのではなく、

自然を見る人間の営みの中に、祈りと暦の両方があった

と考える。

その方が、これまで見てきた様々な神社の姿にも合っています。


まとめ

「太陽の道」という言葉から出発すると、一本の不思議な直線を探したくなります。

しかし、本当に興味深いのは直線そのものではありません。

太陽が一年を通して、

昇る場所を変え、

沈む場所を変え、

夏至と冬至で大きく折り返し、

春分・秋分には東西方向を示す。

その繰り返しです。

そして、その一年の運行を体系として表したものの一つが二十四節気です。現在の二十四節気は、太陽黄経を15度ずつ区切る形で定義されています。

神社は場所にあります。

太陽は空を巡ります。

人はその間に立って、山や海や空を見ながら祈ってきました。

そう考えると、第2部で追ってきた、

場所・方角・空・太陽・季節・暦

は、別々のものではなくなります。

神社の方角から始まった旅は、ようやくまでたどり着きました。

では最後に、

神社と暦は、結局どこでつながるのでしょうか。

第2部の最終記事では、これまでの道を振り返りながら、その問いに答えてみましょう。


主な史料・参考資料


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