神社の方角はどう決まるのか|地形・神体山・集落との関係

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神社の向きには理由があるのか

前の記事では、神社の社殿がすべて同じ方角を向いているわけではないことを見てきました。

西を向く神社もあれば、山に向かって祈る神社もあります。

さらに、「神社の向き」といっても、本殿の正面、神座、拝殿、参道、参拝者が祈る方向など、何を基準にするかによって意味が変わります。

では、そもそも神社の方角は、何によって決まったのでしょうか。

そこを考えるためには、方位磁針のように東西南北だけを見るのではなく、

神社が建つ場所そのものを見る必要があります。

山。

川。

海。

森。

そして、人々が暮らす集落。

神社は、こうした周囲の環境から切り離されて存在してきたわけではありません。


社殿より先に「場所」があった

第1部で見てきたように、日本の神祀りは、現在のような社殿から始まったわけではありません。

山や岩、森など、神聖と考えられた場所で祭祀が行われてきました。

國學院大學の『祭祀空間・儀礼空間』でも、縄文・弥生・古墳時代から古代まで、祭祀や儀礼が行われた「空間」そのものを考古学的に検討しています。

つまり、

場所を決めて建物を建て、そこで神を祀った

という順序だけではなく、

神を祀る場所があり、後にそこへ社殿が成立していった

という視点が必要になります。

そう考えると、神社の方角も建物だけから考えることはできません。


神体山 ― 山そのものに向かう祈り

そのことがよく分かるのが、神体山です。

古代祭祀の研究では、山そのものを信仰の対象とする姿が古くから注目されてきました。

國學院大學の研究資料では、大場磐雄による神体山研究として、遠くから仰ぎ見る高山などと、三輪山のように平野や集落に近接した山とを区別して考えていたことが紹介されています。

代表的な例が、やはり三輪山です。

大神神社では、祭神が三輪山に鎮まるとされるため、古来、本殿を設けません。

拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して、三輪山そのものを拝します。大神神社も、この祭祀の形を「社殿が成立する以前の原初の神祀り」の姿として説明しています。

ここでは、

東を向いたのか、西を向いたのか

より先に、

三輪山に向かって祈った

という関係があります。

方角は、その結果として生まれたものとも考えられるのです。


山は「方角の先にあるもの」になる

これは、第2部を考えるうえで重要な視点です。

たとえば、ある神社が東を向いていたとします。

その事実だけなら、

東向きの神社

です。

しかし、その東側に神聖視されてきた山があったとしたらどうでしょう。

その場合、

東を向いている

という説明より、

山を向いている

と考えた方が、その神社の祭祀を理解しやすい可能性があります。

つまり、

方角 → 山

ではなく、

山 → 結果としてその方角

という順序です。

第1記事で「方角の先に何があるのかを見る」としたのは、このためです。


水も神社の場所を考える手掛かりになる

山だけではありません。

川や湧水、海などの水も、神社の立地を考える重要な要素です。

実際、滋賀県の野洲川流域にある374社を調べた研究では、神社の立地を地形や土地利用との関係から分析し、

神体山型

里宮型

水分型

川守型

鎮水型

灌漑型

湊型

谷地田型

などに分類しています。

ここから分かるのは、神社の立地が山だけでは説明できないということです。

川を守る場所。

水を分ける場所。

農業用水と関係する場所。

船が行き交う場所。

地域の地形や暮らしによって、神を祀る場所にもさまざまな性格が生まれました。


海に向かう祈り

海もまた、人々の暮らしと祈りを考えるうえで欠かせません。

第1記事では、住吉大社の本殿が大阪湾のある西を向いている例を見ました。

さらに第1部で取り上げた沖ノ島も思い出してみましょう。

文化庁は、宗像大社沖津宮のある沖ノ島について、古代から「神宿る島」として、航海の安全や交流の成就を願う祭祀が行われてきた場所と説明しています。

沖ノ島では、4世紀から9世紀にかけての祭祀遺跡が残り、古代東アジアとの交流と深く関係した祭祀の姿が確認されています。

ここでも重要なのは、

「西」「北」などの方角だけを見るのではない

ということです。

海の向こうに何があったのか。

人々はどこへ航海したのか。

どこから帰ってきたのか。

そうした地理的な関係そのものが、祭祀を考える手掛かりになります。

沖ノ島(福岡県宗像市)


神社と集落

もう一つ忘れてはいけないのが、人々が暮らす場所です。

神社は自然だけに向き合ってきたわけではありません。

人々が集落をつくり、田畑を耕し、水を利用して暮らしていく中で、その土地を守る神を祀る神社も各地に形成されていきました。

文化庁の『宗教年鑑』では、神社は氏族や地域集団など一定の社会集団によって祀られてきたこと、また集落の土地を守護する鎮守神を祀る風習が広く普及したことが説明されています。

つまり神社には、

神と自然

だけでなく、

神と人々の生活

という関係もあります。


「山を見る神社」と「里から山を拝む神社」

山岳信仰を考えると、さらに興味深い形が見えてきます。

山そのものに祭祀の場所がある場合もあれば、人々が暮らす里に神社を設け、そこから山を仰ぐ場合もあります。

先ほどの野洲川流域の研究でも、山間部では神体山(奥宮)と里宮のネットワークが確認されています。

ここでは、

神のいる場所

人が祈る場所

が必ずしも同じではありません。

山と里。

奥宮と里宮。

その二つを結ぶ線を考えると、神社の「向き」は単なる建築上の方角ではなくなってきます。


地形が先か、方角が先か

ここまで見てくると、一つの考え方が見えてきます。

神社を建てるときに、

「まず東西南北の方角を決め、その方角に神社を建てた」

とは限らないということです。

むしろ古い祭祀を考える場合には、

神聖な山がある

水や岩など特別な場所がある

そこで祭祀が行われる

人々との関係が形成される

後に社殿が整えられる

という流れを考えた方が理解しやすい場合があります。

もちろん、すべての神社がこの順序で成立したという意味ではありません。

神社の成立時期も歴史も、それぞれ異なります。

だからこそ、方角だけを取り出して一律に説明しないことが大切です。


神社の向きを決めるものは一つではない

ここで、第1記事からの問いに戻りましょう。

神社の方角は、何によって決まったのでしょうか。

答えは、一つではなさそうです。

山。

川。

海。

地形。

神聖視された場所。

祭祀の場所。

人々の集落。

交通や農耕。

それぞれが神社の成立や立地と関係し、その結果として社殿や祈りの方向が生まれた可能性があります。

ですから、

「東向きだから太陽信仰」

「西向きだから夕日を拝んだ」

と、方角だけから意味を決めることはできません。


それでも「空」は残る

ところが、ここで新しい疑問が出てきます。

山や海、川、集落だけで、すべて説明できるのでしょうか。

人々が山を仰いだとき、その山の上にはがあります。

太陽が昇ります。

太陽が沈みます。

月が巡ります。

季節によって、日の出と日の入りの位置も変わります。

古代の人々にとって、山と空は別々のものとして見えていたのでしょうか。

ここから第2部は、少しずつ地上から空へ視線を移していきます。

ただし、その前にもう一つ確かめておきたいものがあります。

神社と神体山の関係です。


まとめ

神社の方角を考えるとき、東西南北だけを見ても、その意味は十分には分かりません。

古い祭祀では、社殿より先に、神聖視された場所が存在したと考えられる例があります。

大神神社では三輪山そのものを御神体として拝します。

また、神社の立地を調べると、山だけでなく、川、水、農耕、港、集落など、地域の地形と暮らしとの多様な関係が見えてきます。

つまり神社の向きを理解するには、

どちらを向いているのか

だけではなく、

なぜそこにあり、その方向の先に何があるのか

を見る必要があります。

第1記事で「方角」を見ました。

第2記事では、その方角を生み出す背景として「場所」を見ました。

次は、その中でも特に古い祈りとの関係が深い、

神体山と神社

をもう一段掘り下げてみましょう。


主な史料・参考資料


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