日の入りを望む神社|西の空に沈む太陽と祈り

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東の空から、西の空へ

前の記事では、日の出と神社の関係を見てきました。

二見浦では、夏至のころに夫婦岩の間から太陽が昇ります。

伊勢神宮・内宮の宇治橋では、冬至のころ、大鳥居の正面付近から朝日を見ることができます。

そこで見えてきたのは、

神社と太陽を考えるには、「どちら」という方角だけでなく、「いつ」という時間も見る必要がある

ということでした。

では、太陽が一日の旅を終える場所はどうでしょう。

西です。

今回は視線を東から西へ移して、沈む太陽と祈りをたどります。


日の入りも毎日同じ場所ではない

日の出の位置が一年を通して変化するように、日の入りの位置も変化します。

春分・秋分のころには、太陽はほぼ真西に沈みます。

夏至のころには北寄りへ。

冬至のころには南寄りへ。

そして再び戻ってきます。

つまり、西の空を毎日眺めても、

太陽が沈む位置から季節の移ろいを見ることができます。

東の空と同じように、西の空にも一年の太陽の動きが刻まれているのです。


「日が沈む聖地出雲」

日の入りと日本の祈りを考えるうえで、非常に興味深い場所があります。

出雲です。

文化庁の日本遺産には、

「日が沈む聖地出雲 ~神が創り出した地の夕日を巡る~」

というストーリーがあります。

その中心となるのが、島根半島西端の海岸線です。

稲佐の浜。

日御碕(ひのみさき)。

そして、

出雲大社。

日御碕神社。

文化庁は、この地域では古くから夕日にちなんだ社が祀られ、出雲の人々が夕日を神聖視し、畏敬の念を抱いていたと考えられると説明しています。

第5記事の日の出とは、まったく違う世界が見えてきます。


稲佐の浜 ― 西へ開かれた海岸

出雲大社の西、およそ1kmほどのところに稲佐の浜があります。

西側には日本海が広がります。

夕刻になると、その海へ太陽が沈んでいきます。

文化庁の日本遺産ストーリーでは、稲佐の浜はかつて西へ開いた出雲の海の玄関口として、多くの船や人を迎えた場所だったと説明されています。

ここでも第2部で繰り返してきた考え方が使えます。

単に、

西向き

と見るのではありません。

その先に、

があります。

そして海の彼方へ、

太陽が沈んでいきます。


出雲大社と「天日隅宮」

稲佐の浜は『古事記』の国譲り神話の舞台として知られています。

そして、その浜から東へ約1kmのところに出雲大社があります。

ここで興味深いのが、文化庁が紹介している**「天日隅宮(あめのひすみのみや)」**という名称です。

『日本書紀』には、出雲大社につながる宮が「天日隅宮」と記されます。

文化庁の日本遺産ストーリーでは、この名称について、

この地がかつて「日が沈む聖地」として認識されていたことがうかがえる

としています。

つまり、ここでは「西」という単なる方位を超えて、

日が沈む場所

という意味が見えてきます。


稲佐の浜では、今も日没を待つ

さらに興味深いのが、現在まで続く神迎神事です。

旧暦10月10日、全国から八百万の神々が出雲へ集まるとされ、稲佐の浜で神々を迎える神事が行われます。

文化庁の日本遺産資料では、

日没を待って

出雲大社の神職による神迎神事が始まることが紹介されています。

ここには、

場所=稲佐の浜

方角=西の海

時間=日没

暦=旧暦10月10日

が重なっています。

これは「神社と暦」というシリーズにとって、非常に分かりやすい事例です。

島根県出雲市、稲佐の浜と弁天島


方角だけではなく「時刻」まで加わる

ここで、第5記事からさらに一歩進みます。

これまで、

場所 × 方角 × 日付

を見てきました。

ところが神迎神事では、さらに、

時刻

が加わります。

日が沈むのを待つ。

つまり、

場所 × 方角 × 日付 × 時刻

です。

同じ稲佐の浜でも、朝と夕方では意味が違います。

同じ西の海でも、太陽が高い昼間と、日没の瞬間では景観が違います。

暦とは単に「何月何日」という日付だけではありません。

自然の時間の流れそのものと、人の営みを結び付けるものでもあります。


さらに西へ ― 日御碕

稲佐の浜から島根半島の海岸線を北へ進むと、もう一つ重要な場所があります。

日御碕です。

その名にも「日」という文字があります。

島根半島西端に近く、日本海へ沈む夕日を見ることのできる場所です。

そしてここには、

日御碕神社

があります。

日御碕神社は二つの宮から成っています。

上の宮は神の宮

下の宮は、

日沉宮(ひしずみのみや)

です。

日沉宮には天照大御神が祀られています。日御碕神社公式資料でも、日沉宮と神の宮の二社からなることが確認できます。


日沉宮 ― 「日が沈む宮」

「日沉宮」。

非常に印象的な名前です。

「沉」は「沈」に通じます。

つまり、

日が沈む宮。

文化庁の日本遺産ストーリーでは、日の出の太陽に象徴される天照大御神が、ここ出雲では日の入りの夕日に象徴されると説明しています。

さらに江戸時代には、日沉宮は「日が沈む聖地の宮」と称されるようになったとされています。

ここでは「夕日と祈り」の関係が、宮の名称そのものに残っています。


日沉宮は、もとは経島にあったと伝わる

日御碕神社には、もう一つ興味深い伝承があります。

現在の日沉宮がこの場所へ遷される以前には、現在地から約200m西側の海にある**経島(ふみしま)**に鎮座していたと伝えられています。

日御碕神社公式サイトでは、日沉宮が現在地へ遷座されたのは天暦2年(948)ごろとされ、それ以前は経島に鎮座していたと説明しています。

ここでも、

神社

西

という関係が見えてきます。

ただし、これは神社の由緒として伝えられている内容です。

考古学的にすべてが実証された事実とは分けて扱う必要があります。


夕日を背景に行われる神事

日御碕には現在も、夕日と重なる神事があります。

文化庁によれば、毎年8月7日には日御碕神社の神職によって、夕日を背景にした神幸神事が行われています。

ここでも、

海岸という場所

西の空

夕日

神事

が重なります。

第5記事の二見浦では、日の出と夏至祭を見ました。

今回は反対に、日の入りと祭祀です。

太陽は、

昇るときだけが祈りの対象となるわけではない

ことが分かります。


なぜ「沈む太陽」なのか

朝日は、新しい一日の始まりです。

一方、夕日は一日の終わりを告げます。

光が消え、夜へ移っていく時間です。

古代の人々が、この変化に特別な意味を感じたとしても不思議ではありません。

文化庁の日本遺産ストーリーでは、大和から見て出雲が北西に位置することから、出雲が「日が沈む海の彼方の異界につながる地」と認識された可能性を指摘しています。

ただし、ここは表現に注意します。

これは、

古代人が必ずそう考えていたと証明された

という意味ではありません。

文化庁のストーリーでも「~と考えられます」「~かもしれません」という形で提示されている解釈です。

この区別は残しておきましょう。


日の出と日の入り

ここで第5記事と今回の記事を並べてみます。

二見浦

日の出。

夏至。

夫婦岩。

禊と祈り。

一方、

出雲

日の入り。

西の海。

稲佐の浜。

日沉宮。

神迎神事。

同じ太陽でも、その捉え方は一つではありません。

昇る太陽。

沈む太陽。

朝。

夕。

東。

西。

それぞれの土地で、自然と祈りとの関係が異なる形で現れています。

まさに「様々」なのです。


太陽には二つの大きな折り返しがある

日の出と日の入りを見てきたところで、次の疑問が生まれます。

太陽が昇る位置も沈む位置も、一年を通して移動します。

そして、その移動には大きな折り返しがあります。

最も北寄りになるころ。

最も南寄りになるころ。

それが、

夏至

冬至

です。

第5記事では二見浦の夏至の日の出と、伊勢神宮・宇治橋の冬至の日の出を見ました。

しかし、そもそも、

夏至と冬至とは、太陽にとってどのような日なのでしょうか。

次は、この問題を詳しく見ていきます。


まとめ

西の空に沈む太陽も、日本の祈りと深く関わってきました。

その代表的な地域が出雲です。

文化庁は、稲佐の浜から日御碕へ続く島根半島西端の海岸線と、出雲大社の「天日隅宮」、日御碕神社の「日沉宮」などを結び、

「日が沈む聖地出雲」

として日本遺産に認定しています。

さらに稲佐の浜では、現在も旧暦10月10日の日没を待って神迎神事が行われます。

ここには、

場所・方角・太陽・日付・時刻・祭祀

が重なっています。

日の出だけでなく、日の入りにも祈りがある。

東だけでなく、西にも祈りがある。

神社と太陽の関係は、やはり一つの型だけでは説明できません。

そして太陽は、一年を通して同じ場所から昇り、同じ場所へ沈むわけでもありません。

次は、その太陽の動きが最も大きな節目を迎える、

夏至と冬至

へ進みます。


主な史料・参考資料


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