夏至・冬至と神社|太陽の最北・最南を意識したのか

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太陽は一年かけて行き来する

前の記事まで、日の出と日の入りを見てきました。

太陽は東から昇り、西へ沈みます。

しかし、その位置は一年中同じではありません。

日の出の位置は季節とともに移動し、日の入りの位置も同じように移動します。

そして、その動きには二つの大きな節目があります。

夏至。

そして、

冬至。

この二つの日は、古くから季節を知るうえで重要な節目となってきました。

では、神社と夏至・冬至には、どのような関係があるのでしょうか。


夏至と冬至とは何か

夏至と冬至は、二十四節気の一つです。

現在の二十四節気は、太陽が天球上を進む位置で定められています。

国立天文台の暦要項では、

夏至=太陽黄経90度

冬至=太陽黄経270度

とされています。

日本では、夏至のころに一年で昼が最も長くなり、冬至のころには昼が最も短くなります。

これは地球の自転軸が、公転面に対して約23.4度傾いていることによって起こります。

しかし、今回注目したいのは「昼の長さ」だけではありません。

太陽がどこから昇り、どこへ沈むのか。

その位置も大きく変化します。


夏至 ― 太陽は北寄りへ

夏至のころ、日本では太陽は真東より北寄りから昇ります。

そして、真西より北寄りへ沈みます。

国立天文台も、夏至のころには日の出が真東より北寄り、日の入りが真西より北寄りになると説明しています。

日の出の位置は、冬から春、そして夏へ向かうにつれて北寄りへ移っていきます。

そして夏至のころ、大きな折り返しを迎えます。

そこから再び南寄りへ戻っていきます。

毎日同じ場所から日の出を眺めていれば、

太陽がここまで来て、戻り始めた

という変化を見ることができるわけです。


冬至 ― 太陽は南寄りへ

半年後には反対の現象が起こります。

冬至のころ、日の出は真東より南寄りになります。

日の入りも、真西より南寄りです。

そして冬至を過ぎると、太陽が昇る位置は再び北寄りへ移り始めます。

つまり一年を通して見ると、

冬至 → 夏至 → 冬至

と、日の出・日の入りの位置が往復しているように見えます。

夏至と冬至は、その両端にあたる大きな節目なのです。


太陽の「折り返し」を見る

ここで少し、古代の人々の視点を想像してみましょう。

毎日、同じ場所から山の稜線を見ているとします。

ある日は、この山のあたりから太陽が昇る。

しばらくすると、少し離れた場所から昇る。

さらに季節が進むと、また位置が変わる。

ところが、ある時期になると動きが止まったように見え、やがて逆方向へ戻っていきます。

現在なら、それを天文学で説明できます。

しかし時計や現代のカレンダーがなくても、

太陽が一年のどこまで進んだのか

を景観の中から知る手掛かりにはなります。

ここで第3記事で扱った「山」と、太陽が再びつながってきます。


二見浦 ― 夏至のころの日の出

具体的な神社の例に戻りましょう。

第5記事で取り上げた、三重県伊勢市の二見興玉神社・夫婦岩です。

夫婦岩の間から日の出を見ることができるのは、おおむね5月から7月。

特に夏至のころには、岩の間から朝日が昇る印象的な景観を見ることができます。

なぜ一年中ではないのでしょう。

太陽が昇る位置が季節によって動くからです。

実際、冬至に近い年末年始には、日の出位置が異なるため、夫婦岩の間から初日の出を見ることはできません。

つまり夫婦岩は、太陽の一年の動きを視覚的に理解する非常に分かりやすい場所でもあります。


夏至の日に行われる夏至祭

さらに二見興玉神社では、夏至祭が行われます。

夏至の日、日の出とともに夫婦岩の前で禊を行い、夫婦岩の間から昇る朝日を拝します。

ここでは、

夏至という日

日の出

夫婦岩

祈り

が重なります。

第2部で探してきた、

場所 × 方角 × 太陽 × 暦 × 祭祀

が、一つの場所で実際に確認できる例です。

夫婦岩・日の出


では、古代から夏至を意識していたのか

ここで、一番大切な問題に入ります。

夫婦岩の間から夏至ごろに太陽が昇る。

夏至の日に夏至祭が行われている。

この二つは、現在確認できます。

しかし、

古代の人々が夏至の日の出に合わせて、この祭祀空間を造った

とまで言えるでしょうか。

これは別の問題です。

現在の祭祀がいつ成立したのか。

夫婦岩がいつから現在のような祭祀の対象となったのか。

古い史料に夏至との関係が記されているのか。

そこまで確認しなければ、古代へ遡って断定することはできません。

現在確認できる現象と、古代の意図を分ける。

この区別は、第2部では特に大切にしたいところです。


伊勢神宮・宇治橋 ― 冬至のころの日の出

次は冬至です。

伊勢神宮・内宮の入口には、五十鈴川に架かる宇治橋があります。

神宮公式サイトによれば、11月下旬から1月下旬ごろには宇治橋の鳥居から日の出を見ることができます。

そして、

冬至のころには、鳥居の正面から太陽が昇ります。

第5記事でも触れましたが、夏至を扱った今回の記事で改めて見ると、その意味がよく分かります。

冬至のころ、日の出位置は一年の中でも南寄りになります。

その太陽が宇治橋の大鳥居の正面付近に現れるのです。


「冬至に合わせて造られた」と言えるのか

ここでも同じ注意が必要です。

冬至のころ、宇治橋の鳥居正面から日の出を見ることができる。

これは神宮公式資料で確認できます。

しかし、

冬至の日の出に合わせて宇治橋や鳥居の方角を決めた

という話は別です。

その意図を証明するには、造営に関する史料や、方位決定に関する記録などが必要になります。

美しい一直線が見えることと、

それを意図して設計したこと

は同じではありません。

この違いは、神社と天文学を考えるときに特に注意したい点です。


「一致」と「意図」を分ける

ここで、第2部全体で使える考え方を整理しておきましょう。

ある神社で、特定の日に太陽が特定の方向から昇る。

まず確認できるのは、

① 現象

です。

次に、その日に祭祀が行われている。

これは、

② 祭祀との対応

です。

そして最後に、

その現象を意識して、神社や祭祀空間をそのように造ったのか。

これは、

③ 意図

の問題です。

①が確認できても、③まで証明されたことにはなりません。

②が確認できれば関係はより興味深くなりますが、それでも古代からの意図を示すには歴史資料が必要です。

この三段階を分けて考えると、「神社と太陽」の話をかなり冷静に見ることができます。


古代の人々は夏至・冬至を知らなかったのか

では逆に、

古代の人々は太陽の折り返しを意識していなかった

と考えるべきでしょうか。

それも慎重である必要があります。

日本には中国大陸から暦法が伝わり、太陽・月などの天体運行をもとに暦が作られてきました。

夏至と冬至は、二十四節気を構成する重要な節目です。

現在の定義では太陽黄経90度が夏至、270度が冬至です。

したがって、少なくとも暦法が導入された時代以降、夏至・冬至という季節の節目そのものが知られていたことと、

個々の神社の向きが夏至・冬至を意識して決められたこと

は分けて考える必要があります。

ここを混同しないことが重要です。


神社と暦が近づいてきた

ここまで第2部では、

神社の場所

から始まりました。

そこから、

方角

日の出

日の入り

へ進みました。

そして今回は、

夏至・冬至

まで来ました。

最初は「神社はどちらを向いているのか」という空間の話でした。

しかし太陽を追い始めると、

いつ、その方向に太陽が現れるのか

という時間の問題になります。

方角だけでは説明できません。

日付が必要になります。

つまり、暦が必要になるのです。


夏至と冬至の間にある二つの節目

太陽の一年には、もう二つ重要な節目があります。

春分。

そして、

秋分。

夏至・冬至では日の出・日の入りの位置が大きな折り返しを迎えます。

一方、春分・秋分のころには、

太陽はほぼ真東から昇り、ほぼ真西へ沈みます。

ここでは東西という方角が、非常に分かりやすく太陽の動きと重なります。

次は、

春分・秋分と神社の方角には、どのような関係があるのか。

を考えてみましょう。


まとめ

夏至と冬至は、太陽の一年の動きを考えるうえで大きな節目です。

夏至のころには、日の出・日の入りは北寄りになります。

冬至のころには、南寄りになります。

二見興玉神社では夏至の日に、日の出とともに夫婦岩の前で禊を行い、朝日を拝する夏至祭が行われています。

伊勢神宮・宇治橋では、冬至のころ、大鳥居の正面から日の出を見ることができます。

しかし、

太陽と方角が一致することと、その一致を意図して神社が造られたことは別です。

現象。

祭祀。

意図。

この三つを分けて考える必要があります。

それでも、太陽の動きを追っていくと、神社の「方角」という空間の問題が、いつしか「季節」という時間の問題へ変わってきます。

方角と時間が交わるところに、暦がある。

第2部も、いよいよ「神社と暦」の核心へ近づいてきました。


主な史料・参考資料


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