六十干支(ろくじっかんし)の記事を少しずつ整備していくうちに、
「そもそも、これってどういう仕組みなんだろう?」
「なぜ今まで残ってきたのだろう?」
という疑問が、いくつも浮かんできました。
個別の干支を調べるだけでは見えてこないこと。
暦としての六十干支を、少し離れた位置から眺めてみる必要がある――
そう感じて、切り口を変えた“問答形式”で整理してみることにしました。
このページは、
六十干支そのものを解説するページではありません。
六十干支を「どう理解すればよいのか」を、
問いと答えの形で辿っていくための入口ページです。
目次
六十干支をめぐる、九つの問い
最初は、ごく素朴な疑問から始まりました。
甲子って最初なんだから、
元年みたいなものがあるんじゃないの?
そこから一つ答えが見えると、
自然に次の問いが生まれます。
この問答は、意図的に並べたものではなく、
調べながら、考えながら、順に立ち上がってきた流れです。
けれど並べてみると、
六十干支という仕組みの輪郭が、少しずつ浮かび上がってくるように思います。
(一)甲子の元年ってないの?
六十干支には「始まりの年」が存在しない。
それは未完成だからではなく、
最初から“起点を必要としない暦技術”として作られていたから。

(二)いつ、誰が六十干支のルールを決めたのか?
六十干支を発明した人物はいない。
殷・周・戦国・秦漢を通じて、
記録と運用の現場で、少しずつ固まっていった仕組みだった。

(三)王朝が滅びても、暦は変わらなかった?
王朝は交代しても、暦の骨組みは残り続けた。
暦は思想ではなく、国家運営を支える「技術」だったから。

(四)暦はいつ、特別な技術から暮らしへ降りてきたのか?
もともと暦は、王や暦官だけが扱う専門技術だった。
それが紙と印刷を通じて、徐々に人々の暮らしに入り込んでいく。

(五)近年の中国では、六十干支は使われていないのか?
現代中国では、六十干支は実用の暦から退いた。
けれど消えたのではなく、文化的な記号として生き続けている。

(六)日本では、六十干支より十二支が好まれたのか?
日本では、
六十干支=記録の技術
十二支=暮らしの言葉
という役割分担が生まれた。

(七)誕生年の六十干支を還暦で祝うのは、日本だけ?
六十干支は中国で生まれ、
日本で「人生の節目を祝う言葉」に変わった。
還暦は、日本独自の干支文化だった。

(八)六十という数字は、なぜ暦にとって重要なのか?
六十は神秘的だったから選ばれたのではない。
割れやすく、天体と人の生活の両方に都合がよかった、
きわめて実用的な数字だった。

(九)これからも「干支」は使われていくのか?
干支は、時間を測る道具ではなくなった。
けれど、時間を語り、人生を考える言葉として、
これからも生き続けていく。

この問答の位置づけについて
この「六十干支問答」は、
- 六十干支の総論
- 各干支の個別記事
- 年次カード・誕生年企画
それらを上から束ねる視点として用意しました。
個別記事を読んでから、
「もう一度、全体を見渡したい」と感じたとき。
あるいは、
「そもそも六十干支って何なの?」と思ったとき。
この問答が、
六十干支を読み直すための地図になればと思っています。
これからについて
六十干支は、
古代の暦技術であり、
歴史の記録であり、
そして今では、人生を語る言葉でもあります。
この問答は完成形ではなく、
記事が増え、視点が増えれば、
また問いが生まれるかもしれません。
そのときは、
(十)として、そっと足していく予定です。